絵の中の時空ーー美術家=物理学者?(九)

同じシリーズ

絵画の中の時間

実は人間は時空(時間と空間)という環境で生活しています。思惟が脳神経を介して脳に反映されるまで、たとえそれが一瞬であっても時間を要するため、人が意識している「現在」は、意識した瞬間に「過去」となっているのです。言い換えれば、人間が感知するのは、長さ、幅、高さなどの空間環境だけではなく、時々刻々に時間の流れをも体験しており、つまり、時空という概念に存在しています。

絵画には時間の表現もあります。例えば、作品中の動きの描写、連続的な物語の絵画の構図手法などは、時間の要素を画面に投影する方法です。

最も一般的な絵画手法は、構図、光と影、色彩で動きの躍動感を表現することです。この表現の手法は、時空の一瞬を固定化して表現するもので、よく言われる「動勢」(動感)のあるものです。ここで、ラファエロ・サンティの油彩「悪魔を倒す聖ミカエル」を例として、このような技法を簡単に紹介します。

 

「悪魔を倒す聖ミカエル」(1518年、ラファエロ・サンティ作:パブリックドメイン)

 

ご存知のように、この絵は『ヨハネの黙示録』で聖ミカエルがサタンと戦って倒した場面を表現しています。人間の姿と似かよったサタンが悪魔であることを表すために蛇のような尻尾が付いています。『ヨハネの黙示録』の12章9節に「その龍は古代の蛇であり、悪魔またはサタンと呼ばれ、衆生を惑わします。その蛇は地上に落とされて、蛇の使者も同じように落とされました」とあります。画家は悪魔を打ち負かしている様子を描き、正義が必ず邪悪に勝つという主旨を表現したのです。

この作品の技法として、まず、光と影の使い方について話しましょう。この作品で使用されている光はユニークな美しさでデザインされています。聖ミカエルの全身の明暗は、左上から右下に向かってわずかに傾斜した線を形成し、絵画全体の明暗を合理的に二つに分けています。左半分はより明るく、右半分が少し暗くて、明暗のコントラストを作り出しています。また、聖ミカエルの体の上部は明るく、中央部分は服と環境の固有色によって暗くなり、下は悪魔が光で照らされて少し明るくなっています。絵画全体が上から下にかけて、「明るい→暗い→やや明るい」となり、芸術的な光の効果を生み出しています。

このような光の感覚は、聖ミカエルの動きと、上から下に光を照らしていることが相まって、芸術の表現で大きな役割を果たしています。上から光が差し込んでいることは、天からの光明を象徴しています。従って、主な光源は直接聖ミカエルの頭、胸、腕を照らしており、最も明るい部分です。光源から離れた悪魔は当然暗く、光が上から下に落ちる傾向を感じさせます。また、聖ミカエルの上半身の明るい部分の空間は広く、下半身の足の空間は狭く、武器の形状と足の角度を合わせると、下に突き刺す矢のような趨勢が形成され、強烈な動勢を感じさせます。

絵画は空間芸術ですが、ここで言っている空間は一瞬ではなく、明らかに時間的な推移もあります。つまり、聖ミカエルが空から降臨して悪魔を倒し、槍で刺そうとしている一連の動作から、自然と前後の時間の推移を連想することができます。

色彩の観点では、正義の側の冷暖色のコントラストがより豊かです。聖ミカエルの背景は青い空と白い雲、聖ミカエルの肌と鎧の色は暖色です。翼には冷暖色の羽があり、腕には青い服飾があります。これらの冷暖のコントラストは豊かな色彩を表現しています。サタンは地に伏し、且つ光源から遠く離れているため、明暗のコントラストと冷暖調色のコントラストにかかわらず、弱くて、暗く見えます。この処理手法では正義が明るい光に彩られて、悪魔が弱くて暗いことを示しています。

構図でも同じことが見られます。正義の側の面積は絵の大部分を占めているのに対し、悪魔の側はごく一部しか占めていないことから、正義が悪に打ち勝つことを暗示しています。

同時に、聖ミカエルの顔は正面を向いており、悪魔は大地に伏して、聖ミカエルに踏まれて起き上がろうとしても起き上がれません。この処理手法は、人に正義の光明と力強さ、自信、美しさを見せてくれます。一方で、邪悪は暗くて弱く、その恐怖、醜さがうかがえます。

全体として、画家の技法はかなり熟練しており、レベルは相当高いです。作品の幅は大きいですが、人物の造形は適切で、明暗の移り変わりも柔らかく、表情も自然で、絵の情景に合っています。
(つづく)

(翻訳編集 季千里)

Arnaud H.