「最後の審判」は天国に昇るか、地獄に落ちるか、全ての衆生にとって、恐ろしくて緊張感に満ちた最終の時です。人々は、審判が自分の過去の善悪行為によって下されることを知っています。善には善の報いがあり、悪には悪の報いがあります。悪を行わない限り悪の報いもありませんので、未来を心配する必要はありません。
しかし、現代科学が浸透している環境下で、多くの人は金銭や権利、利益、欲望を追求しており、佛、道、神は古人の「愚かな想像」だと思い、神聖な正しい信仰は「封建的な迷信」だとして蔑んでいます。今日の中国では、自分自身の道徳基準を努力して向上させようとする修煉者のことを、精神が錯乱していると見なして嘲笑しています。最悪の場合は、迫害の対象になり、残酷な生体臓器狩りの対象となり殺害されてしまうことさえあります。
人類の文化には、昔から自分の信仰する神様の名前を念じる習慣があります。そもそも神様の名前を念じることは神様への尊敬のためであり、修煉で必要となることもあります。このことは次第に多くの人に受け入れられ、知らず知らずのうちに習慣となりました。例えば、中国で佛を信仰している人が、誰かがすごいことを成し遂げたのを見ると、「我佛慈悲,善哉善哉!(わが佛は慈悲深く、ぜんざいぜんざい)」と念じ、道家の修煉者なら「福生无量天尊!(福生無量天尊)」を念じ、キリスト教を信じる人なら、「oh,my god!」と念じます。
現在、様々な宗教や神話で言われた末世の状況が至る所に見受けられます。世界的な食糧危機、出生率の急激な低下、至る所で猛威を振るう疫病、様々な天災や人災が絶えず現れて、死亡者数も増えています……。伝統文化では「因果応報」がよく言われますが、過去の行動に応じて、吉凶禍福の報いを受けるという意味です。
昔から、伝統的な技法を使用して、神様を表現する絵画は、それ自体が一種の時空の媒体であり、鑑賞した人が神聖な境地に繋がる架け橋となってきました。実は絵画と時空の関係は非常に複雑です。ここでは、人類の既存の学術理論に基づいて簡単に紹介しました。実際は様々な要素が多すぎますので、全て話すことはできません。芸術家はこのことについて多くの心得があり、「水は飲んでみれば、その冷暖が分かる」というように、言葉で表現することは大変難しいのです。この文章は、皆さんに絵画芸術の特徴を紹介するものです。適切でない所もあるかもしれません。そこはぜひご理解いただき、ご容赦いただければと思います。
(完)
(翻訳編集 季千里)
ご利用上の不明点は ヘルプセンター にお問い合わせください。