「ふと思い出したこと」【私の思い出日記】

ヘルマンヘッセの言葉「老いて記憶が薄らいできたら、思い出を書きとめておくことが老後の大きな目標になる」、同感です。

先日、所用の帰りに新宿駅を歩いていたら、道端に座しているホームレスの姿を見かけた。最近は、日常の行動範囲の中ではあまり見かけなかったが、その姿を見て、40年くらい前のことを思い出してしまった。1982年ごろから1983年にかけて、少年達が山下公園や横浜スタジアムで浮浪者達を襲い数人が亡くなった事件で、少年たちの残虐性や生命に対する稀薄性に対し、社会が受けた衝撃は大きかった。彼らは浮浪者たちを、狩りの対象として遊んでいたようで、逮捕後も反省の色が薄いと報じられていた。

その当時、山下公園でホームレスの写真を撮り続けていたカメラマンが、その襲撃で殺されたAさんとはなじみであった。彼の写真の中に、Aさんがワンカップを片手に笑っている写真がある。そのカメラマンは少年たちに反省の色がないということを聞き、その写真を持って少年院に面会を申し入れたという。

それが縁で、その後も少年達との交流が始まったという記事であった。その後のことは分からないが、写真を通して、社会や人間に積極的に関わっているそのカメラマンにとても感銘もしたし、哀れな死をとげたAさんにも少しは供養になった気がして、とても印象深い記事だった。「君たちが汚い虫けらだと思っていた人達にも、生きて笑って苦しんでいる命があったということを伝えたかった」と、そのカメラマンの言葉が書いてあった。

私はその時、小学校の教員で4年生のクラスの担任だった。そのカメラマンの言葉をクラスの子供たちにも伝えたく、新聞記事の切り抜きを見せながらそのことを話すと、全員真剣な目をして聞いてくれた。感想もいらない。心のどこかに残ればそれでよし、という気持ちだった。Aさんのワンカップの写真の記事は、しばらく教室の掲示板に張っておいた。

そして、その秋の遠足は山下公園だった。帰りに通った公園の裏のベンチに、ホームレスの人達が数人座っている。元気盛りの子供たち、馬鹿にして笑ったり、指さしたりしないといいなと内心思いながら、何事もなくさりげなく装って、早くその場を立ち去りたい気持ちで歩いていると、クラスのリーダー格の(いたずらも)D君が、「こんにちは」と、ホームレスの人達に声をかけて頭を下げた。

そうすると、他の子供達も全員恥ずかしそうに会釈をしながら頭を下げた。ホームレスの人達もびっくりしただろうが、私もびっくりした。何もそこまでしなくてもと思ったが、どう表現しようかと迷った末に、挨拶を思いついたD君と、それに従った子供たちが無性に愛おしかった。新宿駅で、その当時の子供たちの顔が蘇ってきた。みんな元気でいてほしい。