高1の2学期に転校をした。登校初日の不安そうな私に声をかけてくれたのがK子さん。その時の彼女の優しい笑顔が今でもはっきりと目に浮かぶ。学校が彼女の実家に近かったので、ご両親にもお世話になった。
卒業後、彼女不在の時にも、彼女のお母さんを訪ねていろいろ励ましてもらったこともあった。彼女は高校時代に石浜みかる著『こんにちはイスラエル』(1965年)に感銘を受け、短大卒業後にキブツに単身留学。今改めて考えると彼女の勇気と決断には驚きではあるが、当時は私も好き勝手に生きていたので、彼女のイスラエル行も自然に受け入れていた。
しかし、今になって考えると、彼女の強さと深さに気づき、なんでもっと話を聞かなかったのかと思ったりもする。「無知の知」という言葉は昔から知ってはいたが、それを実感する。何かについて知ると、更に知らない世界があることを知る。「知の海」は深くて広くて、その波の高さを思い知らされる。
最近はそんな思いも含めて、感じたこと、書評などを彼女と交換している。「知の海」を漂流している私にとっては、とてもありがたい友である。
そして昨年、その彼女から送られてきたラインの内容がとても衝撃的であり、ずっと忘れることができないでいる。それは、彼女がウクライナとロシアの戦いの記事を見ている時のこと、小1のお孫さんが、何を見ているのと質問をしてきたので、簡単に戦争の状況を説明したそうです。そして、何で戦っているのか聞いてきたのです。
彼女が言うには、そこから、世界の動き、日本の行く末に危惧している心中と、最近読んだ塩野七生の『レパントの海戦』の凄絶な闘いの根元にあるヴェネツィア人の自負、心意気に感化されていたこともあり、日本も攻められる可能性があることを伝えたのです。そして、男の子として生まれた君は家族や日本を守る為、戦わなければならない時がきたら戦えるかと聞いたそうです。
現在サッカーに夢中の彼はサッカー選手に成っていなかったら戦うと答えたそうです。銃を持ち相手と打ち合うんだよと言う彼女に、「でもやる」と言い切ったそうです、「果たして教育的に良いことかは疑問です。でも子供だからと云って夢物語の平和主義を論ずるつもりはありませんでした。
そればかりか、国を守るということは命がけの覚悟が必要であると伝えたかったのです。平和主義者からは言語道断、危険思想の持ち主です」と。私はこのメールに大変感銘を受けたのですが、その直後に送られてきた追伸がもっとすごかったのです。
「大きな視点が欠けていることに気付き今、情けない思いでいます。それは『己を賭して有事に挑めるか』という気概ばかりを問い、人を殺めたときの悲惨さにまで想いを巡らしていなかったことです。イスラエルで同室だった友人のボーイフレンドが第三次中東戦争の時、よく戦場から直接彼女を訪ねて来ていました。
その彼が語ってくれた話で、もう長いこと歯を磨けないでいるというのです。シナイ半島で無人と思われたアラブ人の家に踏み込み一つのドアを開けた時、そこに人がいたのです。思わず銃を撃った時、振り返ったその男の人が歯を磨いていたそうです。彼の初めての殺人でした。
それ以来、歯を磨こうとすると嘔吐してしまうと。(中略)戦闘には、信念の自己犠牲と諸刃の剣で、殺戮の後の人間の当たり前の感情の心的外傷の悲惨さも待っています。その事を孫に伝えることが抜け落ちていたのです。不覚でした。反省を込めまたの機会に話さなければいけないと思っています。最終的には祖国愛が戦闘に繋がらない時代が来るよう祈るばかりです」と。脱帽でした。50年来の友人に感謝です。
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