小学生のころの思い出【私の思い出日記】
思い出って何だろうと考えていると、もう60年以上になる小学生時代の出来事がいろいろと浮かんできた。当時、テレビのある家は少なく、そのテレビ中継を見るために、近くの幼稚園に皆で集まったことが記憶にある。その時から、私はテレビに魅せられてしまったらしい。
【子どもの記念撮影は映え写真で取りたい!】ママ1,020人 に聞いた、大手スタジオと個人スタジオ利用について比較調査
合同会社niCobabyは、子どもの写真撮影で、スタジオ撮影を行ったことがある と回答した女性を対象に、「子どものスタジオ撮影」に関する調査を実施しました。
「クリスマスケーキ」【私の思い出日記】
義兄(姉の夫)は、買い物好き。とくに食料品の購入が著しく、仕事の帰りに美味しそうなものを見つけると買って帰るので、姉が献立が狂うと嘆いていた。戦争中の食糧難を経験した反動とのこと。年末から年始は、兄にとっては大手を振って買い物ができる時だった。
なぜ何年も前の歌詞を思い出せるのか?
運転しようと思って車のキーをどこに置いたか忘れる人は多くいますが、数年前に聴いた歌の歌詞は覚えているものです。 なぜだろうか? 人間の記憶には、歌詞を好む傾向があるののでしょうか? 専門家の意見を見てみましょう。
ドイツの義兄【私の思い出日記】
3年前の3月、ドイツの義兄(次姉の夫)から電話がかかってきた。そんなことは初めてだったので驚いたが、自分の80歳のお誕生日のお祝いをするので、家族みんなで来てほしい。航空券を送るから、ぜひとのことだった。突然だったのと、コロナのこともあり、当然ながらその招待を受けることはできなかった。そして、彼(ライナー)はその年の10月に亡くなった。
「犬猫病院の老先生」【私の思い出日記】
昨年(2022年)に21歳で亡くなったシェリー爺の妹分猫にクルミ(当年18歳)がいます。生後2日目に野良の親からはぐれ、さまよっているところを2匹のカラスに見つかり、まさに襲撃される寸前、たまたま台所の窓から見ていた近所の人に救出された強運の持ち主です。縁あって我が家にやってきました。
「ふと思い出したこと」【私の思い出日記】
先日、所用の帰りに新宿駅を歩いていたら、道端に座しているホームレスの姿を見かけた。最近は、日常の行動範囲の中ではあまり見かけなかったが、その姿を見て、40年くらい前のことを思い出してしまった。1982年ごろから1983年にかけて、少年達が山下公園や横浜スタジアムで浮浪者達を襲い数人が亡くなった事件で、少年たちの残虐性や生命に対する稀薄性に対し、社会が受けた衝撃は大きかった。彼らは浮浪者たちを、狩りの対象として遊んでいたようで、逮捕後も反省の色が薄いと報じられていた。
「舟越道子さん」【私の思い出日記】
私は、小学生の頃、祖母が購読していた雑誌「婦人之友」(自由学園創設者の羽仁説子創刊)が毎月届くのが楽しみで、そこで紹介されている文化人やその家族にひそかに憧れ続けたものでした。
「原子先生、寺島先生」【私の思い出日記】
「とにかく、浮かんでくる言葉を書きとめて、ためていくのです」。
これは30数年ぶりに再会した、中学時代の担任の原子修先生の言葉だ。
国語の先生で、オールバックの髪型で、澄んだ目がいつも遠くを見ていた。淡々と行われた授業はちっとも面白くなく、職員室でも他の先生方とむれず、いつも一人だった。
「亡き母の妄想」【私の思い出日記】
母は11年前に94歳で他界した。大正5年(1915年生まれ)で、私の曾祖父母や祖父母を取り巻く親族の話をいろいろと聞かせてくれた。どれも面白く忘れられない話が盛りだくさん。その中で、これは「母の妄想」として処理しなくてはならない話がある。
「茶碗は後で洗う」【私の思い出日記】
母の塾の生徒のM君は、幼稚園のころから落ち着きがなく、いつもいたずらをして叱られていた。園長が、母のところに連れてきた。どうやら母親に問題があったらしい。母親のTさんが思い余って、児童相談所にM君を連れてゆくと、相談員がありとあらゆる玩具がいっぱい並べてある大きなホールにM君を連れていき、「どれでも好きなもので遊んでごらん」と言うと、M君は他のおもちゃには見向きもせず、真っ先に向かったのは砂場だったという。そしてセーターを脱いで砂場に入った。
【心の琴線】思春期に出会った本
寒の入り前。暖かな陽の差す午後、近所の図書館へ出かけました。もう一度読みたい絵本があったのです。大きな樹が幼い男の子を老いていくまで見守る話。涙で文字が読めなくなるほど心を動かされたのに、どうしても、そのタイトルを思い出せません。
図書館の児童書コーナーの受付にたずねました。
愛の遺産:われわれが残す思い出
「死はだれも癒すことのできない心痛を残す。愛はだれも盗むことのできない思い出を残す」ーアイルランドの古い墓跡よりわれわれは死を迎えるとき、愛する人たちにありふれた遺産を残すだろう。土地や財産、代々受け継がれた戸棚やアルバム、壊れたおもちゃでいっぱいの屋根裏部屋。貧しい人々や孤独に亡くなる人々を除いて、われわれは身近な人たちに価値あるものやただのごみ、取るに足らないけれど個人的には意味のあるものなど、様々なものを受け渡す。
なぜ人は過去にとらわれるのか、人間と記憶の関係性
人は日記を習慣的につけたり、著名人の自伝を読んだりと、何かと記憶や過去にこだわる。その理由はなぜだろう。
愛の遺産:われわれが残す思い出
「死はだれも癒すことのできない心痛を残す。愛はだれも盗むことのできない思い出を残す」ーアイルランドの古い墓跡よりわれわれは死を迎えるとき、愛する人たちにありふれた遺産を残すだろう。土地や財産、代々受け継がれた戸棚やアルバム、壊れたおもちゃでいっぱいの屋根裏部屋。貧しい人々や孤独に亡くなる人々を除いて、われわれは身近な人たちに価値あるものやただのごみ、取るに足らないけれど個人的には意味のあるものなど、様々なものを受け渡す。
なぜ人は過去にとらわれるのか、人間と記憶の関係性
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大やけどした赤ちゃんを担当した看護師、数十年後感動の再会
ニューヨーク州アテネのアマンダ・スカーピナーティは、赤ちゃんの時に重度のやけどを負いました。ニューヨーク州オールバニーの病院に入院中、担当したのは親切な若い看護師でした。38年後、アマンダはついにその看護婦を見つけ、直接会い、優しさに感謝しました。
あじさいの思い出
【大紀元日本6月18日】近所の家の庭に、今年もあじさいが咲いた。あじさいを見ると、母方の祖母を思い出す。 明治生まれのハイカラな祖母。そうそう、自らを「かっとびばあちゃん」と称していたっけ。そんな活動