【連載小説】時間をなくした男の話

 下町の生まれだった俺は、たぶんそのせいか、勢いのまんま、この歳まで来ちまったらしいや。

 目の前の、錆びた釘にぶら下がる枠もない鏡には、てめえの顔がかろうじて映っている。裏の銀塗りも剥げかけた所に素直さの素の字もねぇ長年の鬱積が溜まった目でよ、この国のやつらとは正反対の細っこい目が、てめえに嫌気がさしたようにやぶ睨んでいた。

 ついに流れ着いたのさ、このラオスという国。それがどこにあるのか、どんな国なのか、ちゃんと説明できる日本人はそうはいねぇし、はなっから興味を持つヤツもいねぇだろう。

 俺もアジアのどこかにある山国という印象しかなかったしな。だからここの高嶺の土が、野菜の有機栽培にはすげぇいいだなんて、知らなくても恥ずかしいことじゃねぇ。

 俺にしてみりゃ、割のいいペイさえもらえれば、どんな国だろうと構わねぇんだが、しかしさすがにここまで来てみれば、地の果てに来たつぅ感じは拭えねぇ。

 現地採用とはいえ、ちっさい商社のバンコク支店で長年勤めてきたこの俺だ。その現地採用っていうのがくせ者なんだがな。どうして本国で雇われずに、わざわざ現地で雇われなければならねぇかを考えりゃ、分かるってもんだろう。ついでに俺がこんな所に来ちまったわけも、そういうヤツしかこんな所にはこねぇってこった。

 そりゃ、六十間近のこの歳で、そうそう楽な管理職などあるはずがねぇ。アジアの何んでも有りの自由の中で遊び暮らした半生のツケと、老後も気楽に遊び暮らすためにはしょうがねえつぅの。

 雇ったほうも、かなり微妙なワケがあったんだろうな。農業なんか、てんからしたことがねぇこの俺に、現地監督として就任してくれときた。やけにバカ丁寧なお誘いだった。

 会社っていうもんは組織だし、そんなかには孫子も舌を巻く切れ者がウヨウヨで、そいつらの保身術からすりゃ、中長期戦略に則った悪巧みの段取りなんざ、朝飯前だっつぅの。

 ていうことは、本国でドロップアウトして、放蕩流れでまんまと現地採用になった連中がよ、そのセコイ意図にチョンと乗せられちまう。誰でもいいが、日本人管理者がいねぇと格好がつかねぇとか、誰かの身代わりにされちまったか、どっちかだろうぜ。俺も似たようなことをさんざやってきたから怒るに怒れねぇし、割のいいペイに目が眩んだし。

 鏡も見飽きてギシギシ軋むテラスに出れば、人間、いつかはオハチがまわってくるってもんで、目の前には野焼きが終わったばかりの荒地が数キロ四方に広がっていた。北海道じゃあるめぇし、見渡す限りだぜ。左のほうがちょこっと盛り上り、そのまんまこんもりした森につながっているのを除きゃ、土地の向こう端には熱帯の空しか見えねぇ。果てがねぇ。空と大地しかねぇ。他にゃなんにもねぇ。

 南部ラオスのボーラベン高原ど真ん中、どうすりゃいいかって、その広がりを前に、体中から力が抜けちまってテラスの下を見たら、こじんまりした十メートル四方ほどの畑に、サツマイモの苗が五百本ほどソワソワ植わっているじゃねえか。

 俺は丸太を組んだだけの梯子の階段を力なく降りて、その畑の前で膝を抱え込んださ。顔を背けたるなるほど土の匂いがムンムンしやがる。このお愛想ほどの畑を、目の前の土地百二十ヘクタール分に増やすのが俺のミッションだが、となりゃ、目の前の面積を一万二千倍にするてぇことになりやがる。最終的な苗の必要本数は六百万本だぜ、ヲイ。

 芋は四ヶ月ごとに土の中から取れるらしいが、苗はその都度十二倍に増えるってんで、目の前の苗がざっと五百本だとすると、今から四百八十日目には一千万本にもなるっていう勘定だ。植物の繁茂力てぇのは半端じゃねえが、それにつきあう素人の俺様はどうなるの? つぅのが俺の不安だ。

 おまけにそうなったら、繁忙期に必要な人手は、なんと二百四十人にもなりやがる。この辺りにそんな人数がいるわけねぇだろう。ベトナムの人口が八七〇○百万人で、タイが六八九〇万人、ミャンマーが四八○○百万人、ここラオスじゃ、一桁少なくてよ、六二八万人しかいねぇ。そんで、標高千メートル以上の高原大地の奥地とくりゃ、少数民族しか住んでねぇつうの。乳飲み子とよぼよぼのジジババを入れても五十人いるかどうかなんだぜ。少数民族の『少数』ってぇ意味をよく考えろってんだ。

 元々このプロジェクトがテキトーだったてぇことが分かっちまったわっけだが、前もって調べるつもりは、俺もこれっぽちもなかったし、これが俺のミッションだと思い込むしかねぇ。だからって歳も歳だし、ここでよもや骨になるんじゃねぇかって思えば、高原の強い紫外線で日焼けした肌が、妙に鳥肌になりやがる。

 考えるのは禁物だ。足下だけを見ていりゃいい。そうすりゃ、山登りの苦痛も和らぐつぅじゃねぇか。

 なにげに振り返って見上げりゃ、俺のネグラの現地事務所兼寮。来年の今頃には二百人以上の従業員を束ねているはずの活動拠点と教えられた場所だが、実態は、神代出雲時代を思わせる高床式で、風も荒べば家の中の物も吹き飛ばされる。そんな隙間だらけの木組みの壁だし、ちっこい窓はガラスじゃねぇ。板を張っただけでヒンジが錆び付いててんから閉まらねぇ。無理に締めようとしたら、窓枠が外れそうになったハズミに、親指にトゲが刺さっちまった。もう、開けっ放ししかねぇ。

 しょっちゅう停電する電気はかろうじて来ているが、電柱は見あたらねぇ。その代わりにまばらに生えた低い灌木を伝って、いやに細いのがヨタヨタ来ていやがる。よく見ると、枝の根本を一回りひっかけてあるだけだし、その怠惰な省力化には、逆に人間の尊い知恵を感じて納得だけどな。

 電話線もはなからねぇ、携帯も一キロほど西に歩いてやっと圏内すれすれ、当然ネットもあるわけねぇ。

 腰が痛てぇのを我慢して、庭の井戸から汲んだ冷水で煮炊きする。って、年寄りの冷や水って、そういうことかい。おまけに薪は高床の下にどっさりありやがるしな。

 最寄りの人里までジープで原野を走ること、道が悪くてぽっきり五時間。そんで、夕方ともなれば真っ裸でも平気で井戸水を浴びられるって、水垢離してるわけじゃねぇってんだ。

 全く、この世がいつか終わるのは知っていたが、還暦を前にしてこんな所に住むなんて、思いもよらなかったねぇ。

 

 来たばっかしの頃は石鹸とシャンプーを使っていたが、下水道なんてあるわけねぇから、泡が地面に吸い込まれてゆくのにすげぇ違和感でよ。知らねぇうちに井戸水だけになっちまった。でもよ、その泡が地面に浸み込んで飲み水になるんだ。そりゃ、乾布摩擦が日課になるだろうさ。日に焼けた皮膚がツヤツヤしはじめたのはそん頃だ。

 楽しみといえば、ささいな涼み用の高床式テラスがあることくれぇだな。なにもしねぇでぼうっと、だだっ広い焼き畑を眺めて、食って、寝て、排泄して、スコールがトタンの屋根を叩く音にドキドキしてさ、濡れた体を気持ちよく風に乾かしながら一人ぼっちの夕暮れの愁傷を味わえるってもんだ。

 緯度からするとこの辺りは熱帯で、日中の気温は三十度を超えちまう。ところが標高が高けぇから、軽井沢の別荘にいるようなもんだな。台風が去った後の日本の夏を想像すればハズレじゃねえ。人が棲むには優しい、ってことはマジによくわかったぜ。

 住み始めてまだたった一ヶ月だが、新鮮な野菜といっしょに、香草も食べているせいか、ここんところは虫にも刺されなくなったしな。体も至って健康になりつつ、生活習慣病の糖尿のダルるさも治りかけているかもで、ハズレの任地には違いねぇが、住めば御利益かも知れねぇ。

 そんで、この辺りは、夜は夜で、真夜中になると、『無音の音』って言えば、トリッキーな言い回しだが、ほんとに音がねぇ音ってぇのがあったんだな。経験しねぇとわからねぇだろうが、たぶん人生の重みとかが、それが聞こえるか聞こえねぇかに関係してるかもだぜ。恵まれた人生を送ってきたヤツにはたぶん聞こえねぇ。俺みたいにハミ出し者で、親からも連れからも子供らからも縁を切られ、一人でいい加減に、無責任で騒々しく、バタバタ足掻いてきたヤツには、ふっと、聞こえるものなのかもしれねぇ。

 別に聞こえたからって、どうっつぅことはねぇんだが、ただ独り寝の冷え切った肌に、無音の音がしみこむだけよ。なにもかもが虚しくなって、このまんま死ぬのかぁって、ぼんやりするだけよ。

 もう一つの楽しみは、どう見ても十五以上には見えねぇ少数民族の少女が毎日朝早くやって来ることさ。前の畑の面倒を見てくれて、帰りがけに掃除洗濯もしてくれるし、食事の材料もちょこっと持って来て分けてくれる。小学生の時のな、名前を忘れた誰かに似ている雰囲気だ。この辺りの特徴だろうが、澄んだ大きな瞳が可愛いいし、見ていて清々しい。ガキのころ、大きな目の女の子にあこがれたのを思いだしちまう。俺が若かったら手を出しても可笑しくねぇが、三年前の前任者が女を作って作物を横流ししていたつぅし、就任前にその話をしつこく担当から聞かされていたから、今の所はお預けだ。

 俺にいわせりゃ、ここいらでは、歳は恋愛に関係ねぇ。金だぜ。家族を養える力だぜ。前の任地でもそうだったし、かなり持てたし遊べたもんだ。ここでも、この子の親御がそれを期待して、この少女を俺んとこに寄越しやがるのかもな。そういうことはね、日本と違っておおらかなのよ。

 現実、世界には一日の稼ぎが一ドルちょっとしかねぇ人間が十二億人もいて、あの子はその中の一人だが、今じゃおれが倍払っているし。

 そんでも食わぬ据え膳なんとかつぅが、そういうパターンにも、マジ、飽き飽きだな。俺に取っちゃ、何度も染まってきた生活習慣病みてぇなもんだし、ちっとだけ懇ろになっちまった後の、女の反応や台詞までありあり想像できちまうのが空恐ろしい。

 でもさ、肉体労働はあの子がやり、俺はテラスの椅子にふんぞり返って、雑草取りをしている可愛い少女を眺めていりゃいいんだからお気楽にかけては究極だな、ここは。

 だがな、しいていえばヤバイことが一つだけあるかな。ここんとこ、かなり面食らう現象があってよ。あの子が昼頃に帰っちまった後、俺はてんから一人になるが、奇妙な目がね、ちょうど卵くれぇの大きさの目ん玉があっちこっちに現れるっちゅうの。幻想なのか化け物なのか。

 はなっから考えたことは俺の潜在意識の、半生犯してきた数々の罪が作り出したまぼろしだと思いたかったんだが、ところがよく観察すると、別に見張るような、責めるような眼差しじゃねぇ。ただ、目ん玉が、処を変え品を変え、いろんな物に宿ったように現れるのさ。ヤキが回ってきたのは、自覚してもいいが、テラスに戻って腰掛けりゃ、今も前のテーブルにあるカップのド真ん中に出やがって、俺と同じように、外の風すさぶ百二十ヘクタールに目尻を細めてやがる。

 部屋の中の、竹で編まれたギシギシ鳴るベッドに目を移すと、その目も同じようにベッドを見てやがる。眉はないが、眉をひそめたようになるからしゃらくせぇ。怖くねぇと言えば嘘になるが、手足があるわけじゃねぇ。ただの目ん玉だ。ビビルほどじゃねぇ。

 ここ一週間くれぇ前から見え出したんだが、毒にも薬にもならねぇから放っておくしかねぇが、一人きりだし、午後の暇つぶしはちょうどいい相手と思うしかねぇ。首をぐるぐる回して、目があっちこっちに現れるたびに、その目ん玉の表情を侘びしく寂しく楽しむ。侘びしく寂しくと来たら、これがマジでワビサビじゃねぇか? って違うだろうに。

 ここに来てから、夜にゃ考えることが腐るほどありやがった。そのほとんどが、過去のネガテイブな出来事でよ。四六時中堂々巡りの埒もあかねぇ考えや感情のくそ渦だ。そんな負の思考が、あの子がいなくなった後の虚を突いて、俺の精神を狂わせているのかも知れねぇ。

 すっかり暮れれば、ベッドに横になるしかねぇのが習慣でよ。ギクシャク動くヤモリを見ていると、今度は、軒下の梁に出てギョロリと俺を睨んでやがる。嫌な感じはしねぇ。諦めきったような静かな目。無音の音に寝返りを打ち、閉まらずの窓から満天星空に目を向ければ、目ん玉はベッド脇の柱の真ん中に現れて、窓から入り込む冷えた風に瞬きまでしやがる。いよいよ俺もヤバイと思うと、その目が流し目になってニヤリとしやがった。

 こんな時は目をつむって、体を丸くしてるしかねぇつぅに。

(続く)