5月16日は、松尾芭蕉が奥の細道へと旅立った日(元禄2年=1689年)です。
漂白の思い癒しがたく、そぞろ神が心に乗り移ってきたのを拒まずに、46歳の芭蕉は旅立ちました。芭蕉は清貧のわび住いを求めて、東京深川に最初の草庵を結んでいます。1680年の冬のことです。唐時代に活躍した李白・杜甫のさすらう詩心が、芭蕉の俳諧精神に面影を落としていました。江戸俳壇の中で地歩を築いた芭蕉でしたが、道祖神が手招きする俳諧精神への新たな旅立ちへの希求は、晩年に至っても燃え尽きることはなかったのです。
奥の細道の冒頭は「月日は百代の過客にして、行きかう年も又旅人也」と綴られています。流れる月日は永遠(百代)を旅する人(過客)であり、めぐり来る(行きかう)年もまた(私と同じ漂白する)旅人なのであるという想いです。この一文は李白の詩「春夜に桃李園に宴するの序」の一節・・・それ天地は万物の逆(げき)旅なり、光陰は百代の過客なり、而して浮世は夢の如し・・・を下敷きにしたものです。
芭蕉にとって俳諧こそは、万物の逆旅(宿りの棲家)を共にする心友でした。そして『奥の細道』を完成させたその年に、大阪の地に没します。いつ斃れ臥してもいい覚悟の、あの世への天晴れな旅立ちでした。『奥の細道』は、奥州に出立した俳諧の旅の「全記憶」を、生還した江戸で5年の歳月を費やして、「虚構の物語」に仕立て上げた紀行文です。芭蕉のねらいはそこに住していました。
奥の細道の芭蕉庵を訪ねればいつでも、わが人生の全記憶をフィクションのように再構成する、私の旅立ちの方法の秘密を知る事が出来るのです。それは創造力の思い出なのです。
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