近年「不老長寿」の研究の中で注目されているのが、mTOR(エムトール:メカニスティック/哺乳類ラパマイシン標的タンパク質)です。このタンパク質は、筋肉の成長や発達、代謝の健康を維持する上で欠かせない役割を持っています。
しかし、mTORは同時に、がんや2型糖尿病、インスリン抵抗性、関節炎、神経疾患といったさまざまな病気にも関係しています。ただし、mTOR自体が「良い」または「悪い」というわけではなく、私たちの体にとって必要不可欠なものです。
重要なのは、mTORのバランスを適切に保つことです。mTORが過剰に働きすぎても、不足しても、健康に悪影響を及ぼす可能性があります。そのため、mTORをうまくコントロールすることが大切です。具体的には、食事や運動などの生活習慣を整えることや、動物実験で寿命を延ばす効果が示されているラパマイシンという薬の活用などが考えられます。
mTORの働きや、それが健康全体に及ぼす影響を正しく理解することはとても重要です。体の仕組みは精密にバランスが取られており、mTORに手を加えることで予期せぬ影響が出る可能性もあります。mTORの調整は、本当にメリットがリスクを上回るのでしょうか?
mTORの発見と定義
実は、mTORよりも先に発見されたのがラパマイシンでした。近年、長寿薬として注目を集めていますが、もともとは細菌が作り出す物質です。1970年代、カナダの研究チームが、それより約10年前にイースター島で採取した土壌サンプルからラパマイシンを単離しました。ちなみに、イースター島の先住民の言葉でこの島は「ラパ・ヌイ(Rapa Nui)」と呼ばれており、これがラパマイシン(rapamycin)という名前の由来です。
このラパマイシンの発見が、その後mTORの発見へとつながりました。1990年代に入り、mTORが細胞内でラパマイシンの標的となるタンパク質であることが明らかになりました。
最初の研究では、ラパマイシンがTORタンパク質に影響を与えることが確認されました。そのため、この名前が付けられたのです。TORは、酵母、植物、ハエ、哺乳類など、さまざまな生物の細胞成長や代謝を調節するタンパク質キナーゼの一種です。キナーゼとは、体内の化学反応を促進する酵素のことを指します。
ラパマイシンは、当初は抗真菌作用を持つ物質として発見されました。しかし、その後の研究で、哺乳類の細胞において免疫抑制作用や細胞増殖を抑える作用があることが分かりました。この発見を機に、ラパマイシンががん治療への応用の可能性を持つことが明らかになりました。そして1999年、アメリカ食品医薬品局(FDA)はラパマイシンを免疫抑制剤として承認しました。
もともとmTORの「m」は「哺乳類(mammalian)」を意味していました。これは、このタンパク質が哺乳類の細胞で最初に発見されたためです。しかし、その後の研究で、mTORは酵母やハエ、植物など、他の生物でも同様の機能を持つことが分かりました。そこで、多くの研究者が「m」を「メカニズム的(mechanistic)」と解釈し直しました。現在では「メカニズム的」の方が一般的になっていますが「哺乳類の」という解釈も歴史的に正しく、どちらの解釈も現在も使われています。
細胞内で働く小さな指令役
mTORというタンパク質は、細胞の成長や生存に必要な条件を判断し、それに応じて指示を出します。細胞の周囲の環境を読み取り、成長や分裂、エネルギーの利用を調整するのです。mTORを中心とする「mTOR経路」は、栄養状態を感知し、それに応じて働くことで、寿命の調節にも深く関わっています。
整形外科手術、痛みの管理、幹細胞治療の専門医で、アメリカ再生医療学会の元会長でもあるジョセフ・プリタ医師は、米紙『エポックタイムズ』の取材に対しメールで「mTORは細胞内の指令塔のような存在で、細胞内外のさまざまな信号を受け取り、それを処理する役割を担っています」と述べています。
プリタ医師によると、mTORは「細胞が成長・増殖すべきか、それともエネルギーを節約すべきかを戦略的に判断する」のだといいます。
また、彼はmTORを「高度に洗練されたスイッチ」と表現し、細胞が常に最適な状態で働けるよう、瞬時に的確な判断を下していると説明しています。
mTORの複合体の形成
mTORタンパク質は体内のさまざまな細胞に存在していますが、単独で機能するわけではありません。他のタンパク質と結びつき、mTORC1(エムトール・コンプレックス1)とmTORC2(エムトール・コンプレックス2)という、2つの異なる多タンパク質複合体を形成します。これらの複合体には異なるタンパク質が含まれていますが、どちらもmTORの安定性を高め、適切に機能するようにサポートします。
運動生理学者であり、代謝の柔軟性に関する専門家であるマイケル・T・ネルソン博士は、米紙『エポックタイムズ』の取材に対し、メールで「mTORC1は細胞の成長や増殖を促し、代謝を調整する」と述べています。mTORC1は、アミノ酸やブドウ糖、成長因子の存在を感知し、それに応じて細胞の代謝や発達を調整します。
栄養が十分に供給されているとき、mTORC1はオートファジー(細胞が不要な成分を分解・再利用する仕組み)を抑制します。オートファジーは、体内の古くなった細胞や損傷した細胞を除去する重要な働きを持っています。また、mTORC1は細胞内のリソソーム(不要な物質を分解・再利用する細胞内の「リサイクルセンター」)に存在し、ラパマイシンという薬の影響を受けやすいという特徴もあります。
一方、mTORC2は細胞の形を決め、移動を助ける役割を持っています。主に細胞の周辺部に多く存在し、細胞の生存を助けるとともに、ブドウ糖や脂質の代謝にも関わっています。ネルソン博士によると、mTORC2は主にインスリンやインスリン様成長因子(IGF-1)といった成長因子によって活性化されるといいます。
ただし「mTORC2は、mTORC1ほどまだ十分に解明されていない」とネルソン博士は指摘しています。
mTORの働きに影響を与える要因
mTORの働きは、生活習慣によって変化します。
- 栄養
・タンパク質:タンパク質を構成するアミノ酸は、mTORC1の活性を促進することが知られています。特にロイシンというアミノ酸は、mTORC1を直接活性化する働きがあり、動物性タンパク質に多く含まれています。そのため、ロイシンを豊富に含む食品(赤身肉、鶏肉、マグロ、豆類、チーズ、牛乳、卵など)を摂取すると、mTORC1の活動が活発になります。プリタ医師は、これらの動物性タンパク質を摂りすぎると、mTORが過剰に活性化する可能性があると指摘しています。
・炭水化物の摂取:炭水化物、特に血糖値を急上昇させるものは、間接的にmTORを活性化させます。ネルソン博士によると、炭水化物を多く摂取すると、インスリンの分泌が促され、それがmTORC2を直接活性化するため、mTORの活動が増す可能性があるといいます。
2019年に『International Journal of Molecular Sciences』に掲載された研究によると、ブドウ糖や果糖を摂取するとマウスのmTORC1が活性化することが分かっています。
ただし、炭水化物の影響は一律ではなく、個人のインスリン感受性によって異なります。
「炭水化物がmTORに与える影響は、その人のインスリン感受性によります」とネルソン博士は説明しています。「肥満体型の人や体脂肪率が高い人、2型糖尿病の人は、インスリン感受性が低下しているため、より大きな代謝の乱れが生じる可能性があります」
研究によると、ケトジェニック(高脂質・低炭水化物)ダイエットはmTORのシグナル伝達を抑制することが分かっています。マウスを使った実験では、ケトン体の増加によってmTORの働きが弱まることが確認されています。
・カロリー制限:断続的なファスティング(断食)や長時間の絶食は、栄養の供給が減るため、mTORの活動を抑制します。酵母から霊長類に至るまで、さまざまな生物でカロリー制限がmTORの活動を抑え、寿命を延ばすことが確認されています。
プリタ医師は「時間を決めて食事を制限すると、一時的にmTORの働きが抑えられます。一方で、必要以上にカロリーを摂ると、mTORが活性化する可能性があります」と指摘しています。
最終的に、ファスティングやカロリー制限などの減量法はmTORの働きを抑えますが、逆にカロリーを過剰に摂取するとmTORが活性化しやすくなります。
- 肥満
ネルソン博士によると、肥満になると血中の遊離脂肪酸(体内でエネルギー源として使われる脂肪)が増加し、脂質シグナル伝達経路を介してmTORC1を刺激する可能性があるといいます。ただし、この関係についてはまだ十分に解明されていません。
「肥満は、mTORを抑制する役割を持つAMPKという代謝経路の働きを低下させます」「その結果、代謝のバランスが崩れ、糖尿病や心血管疾患などの慢性病のリスクが高まる悪循環に陥ります」と彼は説明しています。
- 運動
ウエイトトレーニングなどのレジスタンストレーニングは、骨格筋のmTORを強く活性化させ、筋肉の成長や筋力向上につながります。持久系の運動でもmTORに影響を与えますが、レジスタンストレーニングほど顕著ではありません。
「しかし、mTORがずっと活性化したままになるわけではありません」とネルソン博士は述べています。「筋肉の成長や修復が必要なときに、一時的に活性化するのです」
また、mTORは加齢による筋肉量の減少を防ぐためにも重要な役割を果たします。さらに、2017年に『Contemporary Issues in Cancer Rehabilitation』に掲載された系統的レビューでは、運動がさまざまながんの臨床的・機能的な改善や生存率の向上に寄与することが確認されています。
「運動でmTORが活性化することが、がんのリスクにつながる可能性はありますが、それよりも定期的な運動がもたらす健康効果の方がはるかに大きいです」とネルソン博士は指摘しています。
- 睡眠不足
睡眠不足は、ブドウ糖の処理能力(グルコース耐性)やインスリン感受性を低下させることが知られています。そのため、十分な睡眠が取れていないと、インスリンの働きが妨げられ、間接的にmTORのシグナル伝達に影響を及ぼす可能性があります。
- 慢性的なストレス
ストレスとmTORの関係については、さらなる研究が必要ですが、両者に関連があることが示唆されています。長期間のストレスはコルチゾール(ストレスホルモン)の分泌を増加させ、その結果、mTORの活動が上昇したり、逆に低下したりする可能性があります。
2021年に『Frontiers in Pharmacology』に掲載された研究では、慢性的なストレスがマウスの海馬におけるmTORC1のシグナル伝達を低下させることが確認されました。この研究は、ストレスが常にmTORを活性化させるわけではなく、状況によって異なる影響を与えることを示しています。そのため、今後のさらなる研究が必要とされています。
- アルコール摂取
アルコールがmTORに及ぼす影響は、まだ十分に解明されていません。しかし、2022年に『Biomolecules』に掲載された研究では、短期的・長期的なアルコール摂取が、mTORC1のシグナル伝達を変える可能性があることが示されています。
さらに、アルコールの摂取は、運動によるmTORC1の良い影響を弱める可能性もあります。
mTORの活動に影響を与える要因、特に食事や運動では、バランスを取ることが重要です。
ネルソン博士は、mTORの調整について次のように述べています。
「高タンパク質の摂取、定期的な運動、バランスの取れた食事は、健康の維持、長寿、身体能力の向上に役立ちます。mTORに関する理論的な懸念はあるものの、筋肉量や代謝の健康を維持するメリットの方が、はるかに大きいでしょう」
また、プリタ医師はこう付け加えています。
「食事と運動の両方がmTORを活性化させることは確かですが、その影響は状況によって異なります。健康や長寿を考えると、運動でmTORを活性化させ、その後の食事で抑えるというサイクルを作ることが、最適なバランスにつながる可能性があります」
ラパマイシンを服用することについて
mTORの過剰な活性ががんやその他の病気と関連していることが分かるにつれ、mTORを抑制する薬剤の市場が急成長しています。今後数年で市場規模が数十億ドルに達すると予測されています。その中でも特に注目されているのが、mTORの働きを抑え、寿命を延ばす可能性があるとされるラパマイシンです。
2024年に医学誌『ランセット』に発表された、5つのデータベースを対象にした系統的レビューによると、ラパマイシンは免疫系、心臓、血管、皮膚の老化に関する問題を改善する効果があることが確認されました。この効果は、健康な人だけでなく、加齢による疾患を持つ人にも確認されました。研究者らは、ラパマイシンが獲得免疫系の変化を通じて免疫力を向上させる可能性があると考えています。
ジョセフ・プリタ医師は、低用量のラパマイシンが抗老化効果を持つかどうか、現在研究が進められていると指摘しています。
「ラパマイシンの効果は、異なる系統のマウスにおいても一貫して確認されており、特にメスのマウスで顕著なメリットが見られます。しかし、これを人間に応用するには慎重な検討が必要です」と彼は述べています。
一方で、ラパマイシンの服用には深刻な副作用のリスクがあることも指摘されています。感染症のリスク増加、代謝異常、糖尿病に似た症状などが報告されており、長期的な影響や最適な投与量についてもまだ明確にはなっていません。
「mTOR阻害剤を長期間使用すると、筋肉の成長や傷の治癒、免疫機能に悪影響を及ぼす可能性があります。mTORの働きは過剰でも不足しても問題を引き起こします」と彼は説明しています。
そのため、ラパマイシンを寿命延長の目的で使用する際には、慎重な姿勢が求められます。プリタ医師は「こうした強力な治療を試みる際は、必ず医師の適切な管理のもとで行うべきだ」と強調しています。
進化のミスマッチを考える
mTORの働きとそのバランスの重要性を理解すると、現代のライフスタイルがこの繊細な調和を乱している可能性について考える必要があります。mTORの活性を高める要因として、たんぱく質や炭水化物、ストレス、運動などがよく取り上げられます。
しかし、臨床栄養士のJ・グリネロ氏は、進化の観点から見た食環境の変化も見逃してはならないと、米紙『エポックタイムズ』の取材に対しメールで語っています。
グリネロ氏によると、アミノ酸がmTORを活性化することはよく知られており、長寿のために低たんぱく質の食事を推奨する理論には一定の根拠があります。
「がんのような病気は、細胞が制御不能に増殖することによって引き起こされます。であれば、がんが増殖するための『許可証』を抑制しよう、という考え方は理にかなっています」と彼は述べています。
しかし、あまり指摘されることのない重要な点として「インスリンもまたmTORを刺激し、その作用はより長時間続く」という事実があると彼は指摘します。
「現代の食環境では、特に精製された炭水化物が食事の中心になっています。政府の食事ガイドラインでも、炭水化物は主食として推奨されています。その結果、mTORは常に活性化され続けることになりますが、これは決して良い状態ではありません。どれだけたんぱく質を制限しても、この問題は解決しないのです」と彼は述べています。
まさに、これは進化のミスマッチといえます。
かつての人類の食生活では、「飽食」と「飢餓」のサイクルが当たり前でした。mTORはこのサイクルに適応しており、食事をすれば活性化し、その後の飢餓状態で鎮まるという仕組みになっていました。しかし、現代の標準的な食事スタイルでは、常に栄養が過剰に供給され、食事の間隔も短くなっています。
グリネロ氏は「この状態が続けば、老化が加速し、細胞の異常増殖を引き起こす危険性があります」と警鐘を鳴らしています。
「mTORは生きるために必要なものです。しかし、mTORが常に活性化したままになるのは望ましくありません」と彼は述べています。
つまり、必要な体の機能や、運動・食事といった健康的な習慣を悪者にするのではなく、本当の問題は現代のライフスタイルや食習慣にあるのかもしれません。
「それは、火事が起こるたびに駆けつける消防士を『火を出した犯人』だと責めるようなものです」と彼は例えます。
mTOR自体は恐れるべきものではありません。ただし、現代のような炎症を引き起こしやすい食環境では、適切に管理する必要があります。
mTORの働きを長寿に活かす方法については、まだ研究が進められています。それまでは、バランスの取れた食事、適度な断食(インターミッテント・ファスティング)、適切な運動、健康的な生活習慣によって、体の持つ自然なバランス調整機能をサポートするのが賢明でしょう。
(翻訳編集 華山律)
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