きっと誰もが一度は経験したことがあるでしょう。森の中に足を踏み入れたり、海辺に立ったり、木々が立ち並ぶ場所で立ち止まったりすると、何かが変わる感覚です。肩の力が抜け、呼吸はゆっくりになり、頭の中を埋め尽くしていた雑念が静まっていきます。
この落ち着く感覚は、ほとんど自然に起こるように感じられます。そのため、人々は何世紀にもわたり、ひと休みしたいときに自然を求めてきたのでしょう。
そして今になってようやく科学者たちは、そのような体験をしているとき、脳の中で実際に何が起きているのかを神経科学的に詳しく解明し始めています。
学術誌『Neuroscience & Biobehavioral Reviews』に掲載された、100件を超える査読済み脳画像研究のスコーピングレビューは、自然が人間の脳にどのような影響を与えるのかについて、これまでで最も包括的な神経科学的な全体像の一つを示しています。
その結果、自然に触れることは単に「癒やされた」と感じるだけではありませんでした。脳のストレス回路を鎮め、消耗した注意力を回復させ、瞑想中に見られる状態によく似た脳活動を生み出すという、一連の変化が実際に測定できることが示されたのです。
穏やかさへと導く連鎖反応
実際の自然環境での体験だけでなく、研究室で自然の写真や映像を見せる実験、没入型バーチャルリアリティ(VR)、室内の植物などを対象にした研究をまとめた今回のレビューでは、手法や脳画像技術が異なっていても、一貫した傾向が確認されました。それは、自然環境が脳をより穏やかで安定した状態へと導く可能性があるということです。
研究の責任著者であり、チリのアドルフォ・イバニェス大学で心理学准教授を務めるコンスタンサ・バケダーノ氏は、エポックタイムズの取材に対し、自然が脳に与える影響は、互いにつながり合う複数の段階を経て連鎖的に進むと考えていると述べました。ただし、これは確立された理論ではなく、現時点では仮説モデルとして位置付けていると説明しています。
「これらの段階は互いに動的に影響し合っています。自然の感覚的な特徴が最初のきっかけとなり、その影響がストレス調節、注意力、そして最終的には私たち自身の感じ方へと広がっていくのです」と同氏は話しています。
第1段階:目が見ているものが脳に与える影響
この連鎖反応の最初の段階は、脳が視覚情報をどのように処理するかから始まります。
自然には、葉や木の枝、海岸線などに見られるフラクタル(自己相似性を持つ繰り返し模様)のようなパターンが数多く存在します。脳はこうした構造を効率よく処理できるため、情報を理解するための負担が少なくて済みます。
「その結果、視覚野など初期の感覚処理領域にかかる知覚的負荷が軽減されます」とバケダーノ氏は説明しています。
研究では、自然の視覚的な特徴によって脳の反応の強さが変わることも示されています。より深い緑色やまとまりのある自然景観は、より強いリラックス効果や精神的回復と関連していました。また、フラクタルなど自然特有の模様は、穏やかな注意状態や瞑想状態に関連する脳活動を促すことが分かっています。
第2段階:ストレス反応を弱める
脳が自然の風景を少ない負担で処理できるようになると、ストレスや危険を察知するシステムの活動も徐々に落ち着いてきます。
脳画像研究では、ストレスや脅威の検知に関わる大脳辺縁系(感情や記憶を司る脳の領域)、特に扁桃体の活動が低下することが一貫して確認されています。また、反すう思考(同じ不安や悩みを繰り返し考え続けること)や精神的負担に関係する前頭前野の一部でも活動が低下していました。
こうした脳の変化は、身体にも現れます。ストレスへの適応力を示す指標の一つである心拍変動を測定した研究では、自然に触れた後に心拍変動が増加することが確認されました。心拍変動が高い場合は、副交感神経の働きが活発であることを示す可能性があります。副交感神経は、ストレス時の「闘争・逃走反応」に対抗する「休息と消化」の働きを担う自律神経です。
これらの結果は、自然環境が脳のストレス回路を静めると同時に、身体を回復モードへと導いている可能性を示しています。
第3段階:注意力を回復させ、頭の中の雑音を静める
ストレスが軽減され、感覚処理の負担も減ると、自然は脳の注意力の回復を助ける可能性があります。
長時間の集中や問題解決、意思決定、一日中注意を維持するような精神活動は、脳の「意図的な注意」を担うシステムを疲労させます。自然は、その疲れた注意システムの回復を助ける可能性があります。
脳波測定では、リラックスしながら内面へ意識が向いている状態や、認知的負荷の軽減と関連するアルファ波とシータ波の活動が増加していました。
「自然は、心理学で『ソフト・ファシネーション』と呼ばれる状態を引き起こします。これは穏やかで無意識に引きつけられる注意の形であり、前頭前野の意図的な注意システムの回復を助ける可能性があります」とバケダーノ氏は説明しています。
こうした精神的な回復は、デフォルト・モード・ネットワーク(何もしていないときの自己に関する思考を担う脳のネットワーク)の活動も静める可能性があります。このネットワークは、過剰に働くとネガティブな反すう思考に関係するとされています。
こうした変化は、自然の中で過ごした後に頭がすっきりしたように感じる理由を説明しているのかもしれません。レビューでは、自然に触れた後に反すう思考が減少したという研究も複数報告されており、繰り返しネガティブな考えにとらわれる状態から、より穏やかで心がまとまった状態へ移行していることが示唆されています。
瞑想に似た効果――特別な訓練は不要
今回のレビューでは、脳波研究によって、自然に触れることで瞑想時によく似た脳活動が繰り返し確認されました。
具体的には、穏やかに目覚めている状態や内面への集中と関係する前頭部のアルファ波が増加し、深いリラックスや持続的な集中と関連するシータ波も高まりました。また、ストレスに関係する脳回路の活動が低下していることも観察されています。
一部の研究では、森林や公園のような静かな自然環境で30分から90分ほど過ごすことでこうした変化が現れることが示されています。一方で、別の研究では、それよりはるかに短時間でも測定可能な変化が起こることが示されています。脳波では、自然環境に触れてわずか3分でリラックスに関連する変化が検出された例もあります。
こうした身体の反応は、さらに早く始まる可能性があります。
森林療法の第一人者であり、「森林浴」の科学的根拠を築いてきた日本の研究者、宮崎良文氏は、エポックタイムズの取材に対し、「私たちの研究では、自然環境に触れて数秒以内に前頭前野の活動が落ち着くことを確認しています」と話しました。
また、副交感神経の活動は約30秒以内に高まることも確認されているといいます。
バケダーノ氏によると、重要なのは、その環境がどのような注意の向け方を自然に促すかという点です。その意味で自然は、瞑想の正式な訓練を受けていない人にとっても、マインドフルネス(今この瞬間に意識を向ける心の状態)を支える「足場」のような役割を果たす可能性があるといいます。
「人がゆっくり歩き、静かに過ごし、五感を使える環境は、刺激が強かったり混雑していたりする場所よりも、マインドフルネスに似た状態を促しやすいのです」と同氏は述べています。
繰り返し自然に触れることで心の回復力が高まる
近年の研究では、自然に定期的に触れることによる脳への恩恵は積み重なっていく可能性が示されています。
大規模な脳画像研究では、緑の多い環境で暮らしている人は、ストレス調節や感情処理、認知機能の制御に関わる脳領域の構造に違いが見られることが分かっています。これは、繰り返し自然によって心身が回復する経験が、長期的な回復力を支えるような形で脳を少しずつ変化させている可能性を示しています。同様の傾向は、教育現場や日常的に屋外で運動する成人でも確認されています。
バケダーノ氏は、長期間自然の中で過ごすことだけでなく、短時間でも繰り返し自然に触れることが同じくらい重要かもしれないと話しています。
「脳は壮大な大自然だけでなく、日常生活の中で継続的に緑と接することにも反応するようです」と同氏は述べています。
自然にどれくらい触れるのが理想なのかについては現在も研究が続いていますが、週に数回自然に触れ、ときどき長時間自然の中で過ごすことが、ストレス調節や気分、注意力の維持に特に効果的である可能性があるといいます。
一方、宮崎氏は、厳密な「用量反応関係(どれだけ自然に触れればどれだけ効果が出るか)」という考え方だけでは、自然が身体に与える影響を十分に説明できない可能性があると指摘しています。
人それぞれ好みや身体の特性が異なるため、反応にも大きな個人差があると宮崎氏は述べています。同氏らの研究チームは「生理的調整効果」と呼ぶ現象も確認しています。自然は誰に対しても同じ反応を起こすのではなく、それぞれの身体をよりバランスの取れた状態へ導くようです。例えば、森林を歩くことで高血圧は下がり、逆に低すぎる血圧は上昇する場合があります。
また、このレビューでは、研究者が「ネイチャー・コネクテッドネス(自然との心理的なつながり)」と呼ぶ、自然との結び付きが強い人ほど、より大きな回復効果を得る傾向も確認されました。つまり、私たちが自然とどのような関係を築いているかによって、その恩恵の大きさも変わる可能性があるのです。
本物の自然は画面越しよりも効果が高い
人工的に再現された自然や室内の自然環境でも、認知機能や感情面に測定可能な効果が見られます。
植物を使った壁面緑化や自然光、自然の風景画像はいずれも、一般的な人工的環境と比べてストレスを軽減することが確認されており、オフィスや病院、学校の設計にも役立つ可能性があります。
しかし、実際の自然環境に直接触れた場合のほうが、より強く、長く効果が続く傾向があります。
研究者はその理由として、本物の自然には触覚、自然の香り、絶えず変化する景色、周囲の音など、多様な感覚情報が同時に存在しており、それらが相互に作用することで、室内環境やデジタル映像では再現しきれない体験になるためだと考えています。
宮崎氏は、本物の自然には見落とされがちな大きな利点があると指摘しています。それは、同じ景色が二度と存在しないことです。このため、バーチャル環境は本物の森林浴体験には及ばないといいます。
それでも、バーチャル環境にも明確な利点があります。
「利用しやすく、好みに合わせて感覚刺激を調整でき、簡単に内容を変更できる点です」と宮崎氏は話しています。
ウェルネスの流行ではなく、公衆衛生の基盤としての自然
バケダーノ氏は、本物の自然環境が脳にもたらす恩恵は、自然へのアクセスを公衆衛生インフラの重要な要素として考える必要性を示していると述べています。
神経科学の視点から見れば、自然環境は単なる景観や癒やしのための空間ではありません。
「自然はストレスを調節し、注意力を回復させ、人々全体の心の健康を支える環境なのです」と同氏は話しています。
そのため、街路樹が並ぶ道路や緑の回廊、都市公園、そして自宅から職場や学校などへ向かう日常の移動経路に自然を取り入れることが重要だとしています。そうすることで、自然の回復効果が時間や経済的余裕のある一部の人だけのものではなく、誰もが毎日の暮らしの中で当たり前に得られるようになります。
さらに同氏は、都市の自然への投資は、社会全体の脳の健康への投資でもあると締めくくっています。
(翻訳編集 井田千景)
ご利用上の不明点は ヘルプセンター にお問い合わせください。