何清漣が語る≪現代化の落とし穴≫
司会者: 一九九七年、後に“中国経済改革に対する世界の評価を変えた”と称される一冊の本の原稿が、一年余りの時を経て、中国九社の出版社を回った後、≪中国の落とし穴≫の名で香港で出版され、その翌年、センシティブと思われる数万の文字を削除された後、≪現代化の落とし穴≫の名で漸く中国大陸で出版されました。この本が出版された後、すぐに社会各界で大きな反響を引き起こしました。上は官員から下は労働者まで競い合うように閲読し、この本は学術著作としては数少ないミリオンセラー本となりました。本日私たちは本の作者、著名経済学者何清連女史に彼女の運命を変えたこの本について紹介をして頂きます。
何清漣: これは中国改革開放を分析する一冊で、特に九十年代以来の改革開放が、中国にどのようなマイナスの結果をもたらしたかを分析する本です。これは九十年代初めの幾つかの大改革措置、株式制、株券市場の開放、また私が本の中“圏地運動”と呼んでいる不動産開発、また国有企業改革これら大きな経済改革からはじまり、どのようにして中国の汚職腐敗が高まる“尋租(rent-seeking)社会”になったのか、また中国人の道徳の腐敗が激しく進む過程の中で、徹底的な道徳淪落局面がどのように出現したかを分析する本でもあります。
司会者: あなたのこの本は中国改革開放に対する総括性の著作と思われますが。
何清漣: 少なくともこれは中国改革開放で形成した社会構造の変動、また将来二十年内で作用する構造的な力について分析しました。当時、どうしてこの本を書いたのかと言えば、近年の中国、特に共産党建政後の五十年余りで、社会に極めて大きな変化が起きた時期であることを発見したからです。しかし、歴史上の重大事件について当時の人が当時の歴史を書いたのはほとんど無く、すべて後の記憶から書かれたものです。この記憶からは少し真実が欠落します。なぜなら人はみな現在の需要に基づいて当時発生したことを考えるからです。ですから、いわゆる“改革史”を私は書こうと思いました。しかも共産党が書いたような“改革史”ではなく、それとは別種の陳述になります。ですからこの本が出版された後、中国改革の良心を表現したと言う人もいます。つまり改革に対して倫理の面から問い質すということです。
司会者: あなたはどのように中国の改革開放を評価していますか。或いは、中国の改革開放は近年どのような変化が発生していると思いますか。
何清漣: 中国社会はこの五年間、確かに大きな変化が起きたと思います。しかしこの変化はさらに悪い方向へと発展しています。第一に、汚職腐敗はますます明確に一種の制度性腐敗であることを表しています。この本を書いた当時、私もこの問題に触れたことがあります。しかし、当時は国内で出版する為、あまり率直に言うことが出来ませんでした。その後、≪中国社会における構造演変の総体性分析》の中で、私は中国の腐敗が制度性腐敗であることをはっきり指摘しました。
八十九年以前の中国は改革の理想主義時期であると言えます。その頃の政府も人民の為、国家の前途、民族の前途の為にこの改革を進めると言っていました。これを、全国人民も信じました。なぜなら当時は文化大革命で大きな苦痛を味わった為、みんなは確かに万衆一心でした。上から下までみな中央の改革を支援し、Deng小平もその時に最も高い名誉を獲得しました。改革は元々農村から始められた時から、“聯産承包責任制、各家まで畑を分ける”と、確かに農民に畑を持たせることが出来ました。これによって、農民と土地の間に新しい関係を築かれました。
改革は都市経済体制改革に突入してからどんどん困難になってきたと思います。なぜなら、資源は元々国家が管理しており、一切の資源はすべて彼らの手中にあるのですから、改革開廟xun_ネ後事実上、国家が管理している資源を少しずつ出すことになります。ですから、私は中国改革開放は二つの道に沿って進行されていると言います。一つは、以前私たちが“投機倒把”と呼んでいた改革開廟xun_ネ前の第二経済を合法化することです。政府の管理範囲内にない、異なる土地での運送、販売を、“投機倒把”といいます。捕まったら刑罰を受けなければなりません。もう一つは権力市場化、つまり政府が絶えず土地、そして国家が管理している多くの資源を提供し続けることです。
八十年代に最も影響が大きかったことは何だったかと言えば、価格の双軸制です。従来、一切の物資提供は全て政府の手中にあり、例えば:鋼材、石炭、木材などなど、綿も含まれます。ですからだれでも生産をする為、生産資料を買わなければなりません。計画的な供給は商品に制限があることに等しく、この状況の中で政府は一つの切り口を開けました。それは計画外(商品)があることを許可することです。計画外と計画内の違いはどこにあるのでしょうか。それは同様の商品で計画外はノルマのある計画内(商品)より価格が非常に高いところです。時には一倍以上、二倍以上も多いことがあります。このとき、許可書、それも計画内の許可書を持っていて、それからそれを市場でノルマとして売れば、お金を稼ぐことも出来ます。ですから、当時には“官倒”と言う名詞が現れました。誰がノルマを持つことが出来るのでしょうか。実際は高級幹部の身内と権力のある人たちなのです。ですから、中国の腐敗は主に八十年代中後期から出始めています。しかし、九十年代以後は次から次へと起き、私は“越来越(ますます)”の三文字でこの腐敗を概括しています。つまり、汚職腐敗の金額はますます大きくなってきており、汚職腐敗官員の階層もますます高く、汚職腐敗の人数もますます増えてきています。中国改革は権力市場化が起点であり、つまり、権力の市場進入を放任したのです。しかし中国の権力はそれに対応した政治体制改革をしなかった為、権力は何の監督も受けない状況になっていました。私は自分の本の中で腐敗の高発領域、形式、また、その悪劣な結果について詳しく分析しました。
司会者: 汚職腐敗は改革をするにあたって避けれないものと言う人がいます。つまりあなたが改革をするとなれば、必ず汚職腐敗に遭うことになります。この問題をどうお考えですか。
何清漣: 八十年代にはこういう理論もありました、当時には多くの人が昔のことを論述した:アメリカは建国初期の工業化時期にも何十年もの汚職腐敗があった、また他の国はどうのこうのと論述していました。私は彼らが二つのことを一緒にしているように思えます。第一に、確かに多くの国家で汚職腐敗の現象が起きました。しかし、彼らの権力構造は私たちのとは違います。アメリカが三権分立であるように。アメリカに汚職腐敗が無いというのはありえないことですが、汚職腐敗が発生すればメディアに公にされ、野党から彼を批判することが出来ます。民主と言うのはお互いに監督しあう過程です、監督しあうと言うのは互いに相手の弱み、悪いものを見つけ出し、そして公にするということです。
それに引き換え私たちの中国はこうではなく、私たちの中国は第一に、権力はすべて党にあります。この経済改革でも、共産党はこの経済改革の発動者であり、この経済改革項目の参与者でもあり、同時に彼は裁判者でもあります。ですから彼は一身三任で、彼に自分の行為を制約をさせることは不可能に近いと思います。中国の汚職腐敗はもはや制約を受けることが不可能の状況になりかけています。
司会者: 本の資料の出所、これらデータの出所は何処からきましたか。
何清漣: 主に中国の新聞雑誌、または中国国家統計局が歴年発表されるデータからです。
記者: 私たちの情報によれば、中国官方の統計データの多くは真実ではなく、或いは水増しが多いと言うことですが、あなたはどのように運用出来る部分と真実でない部分の判断をしたのですか?
何清漣: 一般の資料はさて置き、国家統計局の統計データは確かに真実ではないです。しかし、このデータを処理するのに二つの常識を必要とします。一つは常識で、どれが真実に近いか、どれが使用出来ないかを判断します。二つ目は専門知識、私は基本的にこの二点のことを頼ってやってきました。そして中国には“良いことは伝え、悪いことは一切伝えない”という習慣があります。ですので彼が良いと言うデータには目を通さなくても良いが、彼が悪いと言ったのならば、あなたは実際の状況は彼が話したのより何倍も悪いということを考えるべきです。ですから、悪いと言ったことから描いた中国の現実はとてもとても恐ろしいものです。
統計データは一つの大きな系統工程であるので、国家政府が発表する以外、実際私たち個人の手に入るのは不可能なことです。けれども私はやはりそれを判断することが出来ます。中国は近年ずっと毎年の経済成長率は百分の七から八に達すると言っています。しかしこれと同期の就業率は毎年百分の一ちょっとしか増えておらず、近年は百分の零点何まで下がり、百分の一にも達していないのです。これはマクロ経済理論の中では解釈の通らないことであります。なぜなら、一般的に経済成長率が上がれば、これに伴って必ず就業率と物価も上がってくるはずです。物価は近年ずっと顕著な変化がなく、品物も現在は非常に安いのです。そしてもう一つは生産資料価格も近年来上がらず、また消費者の指数や消費者価格指数も上がっていません。これはマクロ経済理論の中では解釈が出来ないことであり、世界経済発展史上の中でも、経済成長率の指数が伸びる一方で、他の全ての指数が萎縮するということはありませんでした。ですからこれには、以下の解釈しか出来ません。一つはマクロ経済理論が間違っているか、もう一つはこの指数は真実ではないということです。
私も多くの“繁栄論”を持った人とこの問題について討論しました。私は一般的に先に彼らに幾つかの質問をします。一つ目は、あなたは何の資料に基いて中国経済が繁栄していることを判断しているのかです。彼らがもっとも例を挙げるのが、中国は毎年経済の成長率が百分の七から百分の八まで達しているからです。二つ目は、彼らは情報の出所は主に中国の新聞紙からとも言っています。中国のニュースメディアは主に一種の宣伝器具であることを知らなければなりません、特に国家政策、経済形成等などの話になると、すべて口をそろえます。江沢民てきには主旋律を宣伝すること、良いことだけを話し、悪いことは話さない。これはもとから偏りがあります。三つ目は、彼らは時に中国の多くの都市に行ったと反論します。私は彼らにどの都市へ行ったかを挙げてもらいました。彼らが挙げたのは北京、上海、広州、深_tong_、他に省庁所在地なども。この四つの都市は確かに発展が非常に良く、建設も良い、ですから、これらは中国が世界に披露する現代化の幾つかの窓口になっています。中国人がよく挙げる例えは、上海はニューヨークよりきれいよと。しかしあなたはわかりますか。ニューヨークと上海の比較は、二つの都市を比較するのではなく、あなたはアメリカの裕福さを理解するには、アメリカの田舎へ行って見る必要があり、中国の貧しさを理解するには、同じように中国の田舎へ行って見る必要があります。中国の多数の人はこの四つの都市で生活していませんし、他の省庁都市の中でも暮らしていません。中国の八十%はの人は中小都市と広大な農村で生活しており、そして中国の中小都市の経済は基本的に現在は破産、或いは半ば破産しています。農村経済も非常に厳しくなっています。一つの国の経済の良し悪しを判断するには、大多数の人民の生活が改善されたかどうか、また、彼らが発展の機会を獲得したかを見る必要があります。
何清漣: この本は現在に至るまで五年経っており、残念なことに、本の中で話したことは全て検証されてしまいました。本を書いた当初言ったことが当たってほしくはなかったのです。なぜなら、この本を書いた目的は、みんなにこの恐ろしい局面に警戒を持たせるために呼びかけ、みんなで措置を取り、中国改革が良い方向に発展することを促進させ、この局面の出現を防ぎたかったからです。問題は私が本の中で話したやくざ社会への変化、そして汚職腐敗の多発、資本の外国への流出、それから地下経済の氾濫、社会道徳の堕落など、現在は私が本を書いた時よりも悪いです。これはどうして私が去年から補充をし始めた理由であり、即ち九十八年以後の資料、そして更に悪い状況を書き出すことです。
司会者: 二〇〇三年十一月、≪現代化の落とし穴≫の修正本―≪中国現代化の落とし穴≫、アメリカ博大出版社によって出版され、修正本は二〇〇三年七月までの最新資料と資料分析論証を取り込み、更に説得力を増しました。およそ三分の一以上の内容が更新されています。
作者は旧版で直言出来ない禁忌を振り払い、最新のデータと資料分析論証を採用し、更に説得力のあるものにしました。私たちが注意すべき点は≪修正本≫の中に、作者が海外へ行った後、一部の問題について考えを改めたことです。
何清漣: 私は≪序言≫と≪結語≫を新しく書き直し、更に十一章を加えました、この三つの部分は私が中国改革開放に対する多くの理論や考えを代表しており、そして私の本が出版されて以後に起きた重大な変化など、私は中で全て話しています。この他、私は各章ごとに九十八年以後の変化を補充しています。特にやくざ社会への変化、地下経済、それから国有企業など等、私は多くの内容を増やし、そして元の資料の一部も削除しました、総ページ数は変わらないが、少なくとも三分の一以上の内容は更新しました。
司会者: あなたは第十一章を増やしたとおっしゃいましたが、第十一章はどんな内容ですか?
何清漣: 第十一章はあの著名な≪当代中国社会結構演変の総体性分析≫という文章であり、私はこの中で主に社会階層の分化、そして、それぞれの階層が改革後に形成された新しい等級序列の中で、どのような地位になるのかを分析しました。≪書屋≫という雑誌で私の文章が発表された後、彼らの編集長が私に冗談交じりにこう話しました:現在は誰もが君のこの文章と照りあわせている、私はどの階級の人になるのかと。私はそこで政治エリート、経済エリートと知識エリート三者合流の概念を話し、並びに中産階級は便乗することや、労働者農民地位の末端化の問題も話しました。
司会者: 地位末端化とはどんなことを言いますか。
何清漣: 一人の人が社会の中で正常の位置を持つ為には、幾つかの条件がなければなりません、一つ目は、正常の仕事保証と正常の収入が必要、少し貧しくても、体面を失わない生活を維持する必要があります。私が言った末端化は、彼らが徐々にこの社会の構造の外に追い出され、仕事のない人にされてしまうことです。農民が“三無人員”になったように、都市で流民になります。俗に言う“三無人員”は中国政府が与えた概念であり、“三無”とは事は合法的な証明も無く、固定した仕事も無い、そして固定した住所も無いことです。考えてみてください、この三つのものでさえ持てない人がこの社会の中にいる、つまり何の生存条件も無いということになります。労働者については、仕事が無く、貧民区のようなところで暮らし、彼らの子供に勉強、受けるべき教育を受けさせる力が無いことです。中国は一台の現代化の列車に等しく、政治エリートはこの車両の前進方向を主導し、経済エリートはこの車両の先頭或いは軟らかいベットと硬いベットの中に座っており、ついでに乗せてもらっている中産階級は比較的に良い硬いベット、仕事のある低層人員は硬い椅子である、“三無人員”は列車の下に投げられ、中には列車の外に投げ出された人もいて、すでについて行けなくなっている、つまり社会の全ての発展は彼らには関係の無いことなのである。
昔の毛沢東の時代は、確かに労働者階級を指導者としていました、労働者農民連盟を基礎に無産階級独裁な国家であった、しかしその時の労働者の政治地位は名誉上高いだけであります、しかし江沢民たちも理論を修正したかった、即ち“三つの代表”という理論を出しました。
ある上海の大企業経理が私にこう言いました。“広大な人民群集の利益を代表する”と私たちは何十年も唱えてきた、けれど一度も実現したことがありません。しかし、なぜこう言うのでしょうか。これには道徳上の働きがありますから、少なくともこの方面の旗を掲げなければなりません。肝心なのは前の二つだと彼が言います、誰が“先進生産力の代表”でしょうか。私たちです、誰が“先進文化の代表”ですか。それも私たちである。労働者、農民がどうして先進生産力の代表になれるのか、また彼らがどうして先進文化の代表なのかと彼はいいました。私たちには金があり、テレビや新聞の上で発言出来るのは政府の他、私たちであり,または私たちの利益を代表する知識エリートたちです。
司会者: 今はこのように理解しても良いですか。中国政府の政策はあなたがおっしゃるように、すでに政治エリートと経済エリートに対して傾いており、労働者、農民に対して傾いていないと理解しても良いですか。
何清漣: 基本的にはこうなります。中国の改革開放が八十九年にその理想主義改革時期を終了した後、それは一つの特徴としてどんどん現れてきた、つまり政治エリート集団が各種の措置を取り、政策を力のある集団へ傾かせることです。彼らのような小集団の政策に有利であるように、政府に政策を出させることであり、中国はその後ますますこの傾向が現れてきた、例えば自動車政策、不動産政策、そして電迅産業も含めて、強勢集団の政策に有利のことについては、全て迅速に出ていて、判断も非常にはっきりとしています。しかし、百姓に対して有利な政策は、どんなに話しても話がつくことはありません。九十三年のマクロ経済調整以前は“放権譲利”であり、即ち政府が権力と利益を放り出し、社会に決めてもらうことでした。ですから一部の集団は多く貰い、一部の集団は少なく貰っていました。九十三年以降は政府が百姓の手の中から取り返そうとし、医療保険改革、養老改革、就業体制改革、教育改革も基本的に百姓の懐にあるお金を政府に差し出すことなのです。私は中国の改革実践結果からみて、これはすでに権力集団が手中の権力を利用し、国有財産を掘り取る一つの過程になったと思います。
司会者: 貧富の差はどの社会にも避けられない、アメリカにも貧富の差があると言う人がいます。けれども、もし貧富の差を強調し過ぎる或いは貧富の差を無くすことを強調し過ぎると、それは誰もがご飯を食べれて、また誰もがお腹いっぱいに食べれないという大なべ取り分け状態になってしまうと言う人もいます、あなたはどのようにこの問題を見ていますか。
何清漣: 私は彼らが一つの問題しか強調していないように思えます、どんな社会にも貧富の差があり、そして合理的な貧富の差があることを認めなければなりません。同時に最も重要なのは、社会全体に貧しい人を助ける機制が存在するかです。一つの社会に最も重要なのは裕福な人がどれだけ裕福かを見るのではなく、貧しい人がどれだけ貧しいかを見るべきです。
私がアメリカに来てから知りましたが、本当はアメリカの貧しい人の生活はそれほど困難ではありません。なぜなら政府から与えられる食物券で基本的に彼らの食品は保証されています。他にも、子供を多く産むと補助があり、ですからこのような社会保険体制がまだ設立さていないので、貧しい人を救済す機制は一切ありません。ですから、貧しい人は何処までも貧しくなっていき、もし失業をして、また仕事も見つけることが出来ずにいると、衣食がなくなる可能性があります。これはアメリカとまったく違うところであり、これは一点目です。
第二点は、アメリカの貧富は二百年余りの市場競争機制から形成されており、貧しい人と裕福な人の差は才能、能力など様々なことから出来ていますが、起点はみな平等です。並びに政府の公立学校は無料で、貧しい人の子供が大学に入る、もし学費が払えなければ補助金、奨学金を申請することが出来ます。中国にはまだこのような制度がありません、つまり貧しい人を保護する機制がまだ成り立っていません。並びに中国の貧富の差は合理的な市場競争からではなく、起点が不平等な競争、即ち権力集団が持っている権力で財富を掠奪し、僅か二十年間の間に人民の血汗を奪っていきました。中国の国有資産はどのようにして貯められたのでしょうか。それは百姓が低消費し、多く貯めてきたものであり、改革は彼らに第二回の掠奪をしました。彼らが以前に貯蓄したものは無くなり、そして今、また彼らからお金を取ろうとしています。ですから貧しい人は更に貧しくなっています。もし貧富の差だけを話すとなれば、字面から見ては中国もアメリカと同じように思えます。しかしこの貧富の差が形成された原因、貧富の差で出来たこのマイナス結果の後に社会における緩衝機制、社会救助系統などから見てアメリカとはまったく異なります。私はこの≪修正版≫の中で特別にもう一度≪結語≫を書き、≪結語≫のタイトルが≪中国改革の得と失≫であり、中で私は中国の政治エリート、経済エリートと知識エリートが改革の受益者であると指摘しました。広大な中下層人民、特に労働者、農民の二大集団は、事実上掠奪を受けた人たちなのです。
司会者: あなたはどのようにDeng小平の“一部の人を先に裕福にさせる”の政策を理解していますか?
何清漣: 私も今改革に一つの考えがあります、元々私たちは改革に対してずっと一つの幻想があり、これは確かに共産党が言った目標に達すことが可能ではないかと、つまり、先に少人数の人が裕福になり、次に全体人民が一緒に裕福になるということです。国を出て来たこの二年間、私は幾つかの政治学の著作を読みました、中には多くの権力国家即ち発展途上国家の型変換問題を分析しており、後にこれが全ての権力国家の経済発展政策の特徴であることを発見しました。私たち中国は以下の二つの特徴を持っています。第一、私たちのこの政権は戦争によって築けられたもので、戦争によって築けられた政権は幾つかの力を持っており、一つは社会資源を動員する力です。
第二、これには社会の全面をコントロールする力があります。中国共産党政権のこの方面での力は、世界上のどの政権よりも強いと言えます。この点は、権力政治から市場化への変革過程の中で、必然的にエリート集団が出来るだけ改革の中で自分の利益を満足させようとすることを決定付けさせました。もし私たちがこの上から下までの改革が本当に全体人民の需要を満足させてくれると仮想しているのなら、私たちはこの権力政治の特徴を理解していないと思います。
司会者: あなたは本の中で中国改革について多くの問題を指摘しました、あなたはこれらの問題をどのような方法で解決することが出来ると思いますか。
何清漣: もし中国の数々の複雑な問題を解決する方法はあるかと聞くのならば、私は誰にもこれを解決する方法が無いと思います。しかし、今は少なくとも一つの可能な道があります、それは政治体制の改革です。私が本の中で話したように、全ての問題は経済領域で発生しているが、根本的なものは政治領域にあります。中国は今、唯一歩ける道は一つだけあり、それは政治体制改革です。しかし政治体制改革には二つの問題があります、第一に、改革は早ければ早いほうが良い、どんどん後延ばしにすれば政治体制改革の範囲が小さく、効果も小さいです。第二点は、政治体制改革は確かに中国の一切の問題を解決することは出来ない、けれど、少なくとも一種の可能性を提供しています。
時の慈嬉皇后が改革を拒んだのは民智未開ということでした、現代の漢語に翻訳すれば、百姓たちの素質が余りよくないということです。彼らは、民主は一つの学習の過