【党文化の解体】第7章(12)

【大紀元日本7月17日】

5.干ばつ対策、洪水対策、自然と闘う、共産党の指示に従って戦う、階級闘争の観念を持つ

2)共産党の指示に従って戦う、階級闘争の観念を持つ

長期にわたって洗脳された結果、中国人は「共産党の指示に従い戦って」、全国民が階級闘争の観念を持つようになった。具体的に、共産党がいったんある特定の人たちに対して「村八分を決めた」としたら、社会全体はすぐその人たちを進んで迫害して、あるいは彼らを差別して疎遠して、もしくは彼らが受けた虐待を黙視する。大衆の言論と行為はまた、中国共産党に「人民大衆の支持を得た」として宣伝される。

現在、中国共産党はもう階級闘争をやらず、国民は金儲けに目を向けて、大半の国民の政治意識は冷淡なもので、党文化は我々の日常生活において影響を及ぼしていないと思う人がいて、また、政治の風雨をたくさん経験してとっくに党文化の本質を見破って、中国共産党の政治運動にも飽きて、決してその影響を受けていないと思う人もいる。

実際には数十年以来、中国共産党が行った残酷な闘争は国民全員に波及した。無神論と闘争思想を基礎とする党文化はこの残酷な闘争と絡み合って、社会全体の隅々まで浸透していた。騙されて盲目的に中国共産党についていって悪事を働いた人、利益のために進んで中国共産党の手先になって悪事を働いた人、仕方なく中国共産党の運動に意見を言わなくなった人、政治運動に飽きて事実を聞いても関与したくなくなった人がいった。いずれにしても、直接あるいは間接的に中国共産党の社会統制を強化して、意識的にあるいは無意識に中国共産党の指揮棒に従って行動することに等しい。

騙されながら盲目的に中国共産党の指示に従う

一九五〇、六〇年代に中国共産党が吹聴した「人間世界の天国」の夢は多くの人に憧れを抱かしめ、それに加えて共産党はマルクス、エンゲルス、レーニン、スターリン、毛沢東が偉大であると虚偽の宣伝をしたため、多くの国民は騙されて、共産党に従ってたくさんでたらめな事を行った。

例えば、中国共産党は「人民公社」を作ると言って、民衆はすぐ行動して、「走って共産主義に入ろう」とした。数ヶ月後、人民公社の波は農村を呑み込み、農民は貯めた食糧を無償に食堂に納めた。これで何年もないうちに、中国人数千万人が餓死した。

中国共産党は「製鋼運動」を呼びかけ、全国はそれを最も重要な任務にし、農民は鉄製の鍋を献納して、都市部の人は鉄製の窓と暖房器具を外して、原始的な溶鉱炉で数百万トン品質が悪くて使えないくずを作った。また、多くの農民は畑仕事を捨てて「鉱山を探して」、「製鋼を行って」、熟した農作物は収穫されずに畑で放棄されていた。当時、四川省で放棄された食糧は「二百二十万トンにも及び、生産総量の十パーセントも占める」と推測された。河南省では収穫せずに畑に放棄された食糧は生産総量の半分にも及んだという。

中国共産党は「四害を退治」と言い出し、そこで鳥さえ「戦闘」の対象にされた。老若男女は竹ほうきを振り回して鍋と碗を叩いて、工場は汽笛を鳴らして自動車はクラクションを鳴して、目的はスズメを驚かして飛ばせて、最後に疲れて死なせることである。これでスズメは大幅に減少して、害虫は大いに増えて、農作物が大いに減収して飢饉をもたらした。

共産党の指示に従って戦う(イラスト・大紀元)

一九六八年、毛沢東は「知識青年は農村へ行き、貧農・下層中農で再教育を受けなくてはならない」との指示を出し、そこで数百万人都市部の大卒、高卒、中卒の学生は郷里に別れを告げて、農村と辺境に行き「自然と闘って」、「革命」の新しい「高潮」を起こした。実際には、これは形を変えた「労働改造」であった。

「文革」で中国共産党は「四旧を破壊する」と吹聴し、すぐさま寺院、仏像、名所古跡、書画、骨董が破壊の対象になり、無数の文化財は焼き払われた。著名人物の墓、白骨も「革命闘争」の目標とされ、孔子、王羲之、岳飛、海瑞、張居正、袁崇煥、蒲松齢……中国の史書に名前を記載されたほとんどの人は、一九六六年に墓を掘られた。

(イラスト・大紀元)

中国共産党は「資本主義の尾を切る」と言って、農民の家に植えた野菜や果物、家禽や家畜はすぐ押収された。生活の困難を解決するためにこっそりと卵で日用品を交換する農民は、すぐに「資本主義の尾」として告発された。

あれら巨大な破壊をもたらしたでたらめな行為は、「党に従って戦う」という盲目的な闘争心理と密接な関係がある。

(続く)