【党文化の解体】第7章(15)

【大紀元日本8月7日】

5.干ばつ対策、洪水対策、自然と闘う、共産党の指示に従って戦う、階級闘争の観念を持つ

2)共産党の指示に従って戦う、階級闘争の観念を持つ

階級闘争観念の作用とその表現

「党の指示に従って戦う」に、「戦う」の表現はとても特徴があり、それは中国共産党の階級闘争の思想の生々しい描写である。「同志に対して春のように暖かく、敵に対して厳冬のように冷酷」、「立場をしっかりして、愛憎の念をはっきりして」、まるで戦う以外に解決方法がないようだ。

共産党は創立当初から階級闘争の理論を作り出し、『共産党宣言』は「今まで存在したすべての歴史は階級闘争の歴史である」といい、その後、この理論はまたマルクス、エンゲルス、レーニン、スターリン、毛沢東によって発展した。当時の政府を打ち倒すための唯一の理由として、中国共産党は戦争を起こす時に階級闘争の理論を吹聴しなければならなかった。政権を奪い取った後にも、統治を強化させ敵対者を殺戮するために、中国共産党は絶えず階級闘争を展開した。階級闘争の理論は党文化を築く基礎になった。

闘争哲学は中国社会全体を随時に動員できる「準軍事化状態」にさせたため、毎回の政治運動の動員スピードは驚くほど速かった。軍隊はもちろん、各地の機関、研究部門、国営企業も中国共産党に「戦線」と称され、軍事的に管理され、部下は上司に絶対服従した。中国共産党が目標を言い出せば、すぐたくさんの人が追随して運動を展開した。日常生活に、経済行為は「××戦役」、科学研究は「堅塁攻略戦」、職務異動は「新しい戦場に駆けつける」と称されることはしばしばあって、そして何でも「打つ」、「闘う」、「無理矢理に行う」の心理状態を帯びている。前文に言及した「洪水対策」、「干ばつ対策」など、自然災害の対応面に闘争の方法を取るだけでなく、社会問題の対応にも、中国共産党はすべて「闘争」と「強制」の姿勢を取る。

社会問題の兆候が少し現れたら、中国共産党はすぐ暴力でそれを「芽生えの状態で消滅させる」。日常生活の中でさえこのようにするので、本当に階級闘争を行って迫害を加える時、中国共産党はなおさら激しい暴力手段を取る。

ここで明確に定義しないとならないのは、中国共産党のいわゆる階級闘争は、「階級」の間の闘争に限らないことである。中国共産党の「階級」を定める根拠は人々の思想である。中国共産党に認められない思想を持てば、すべて「階級の敵」とされる。例えば、「歴史反革命分子」、「右派」、「走資派」など「階級の敵」は、批判される前にとっくに社会財産を失ったにも関わらず、彼らの思想と立場はまだ「プロレタリアの反対側」にあるため、依然として中国共産党に「階級の敵」とされる。

社会財産をたくさん保有するため批判を受けた「資本家」は今「企業家」と称されている。その思想、立場は中国共産党に認められるのなら、「プロレタリア」の類に入ることができ、中国共産党党員になれる。一方、一物も保有しない失業者、土地を奪われた農民などのような正真正銘の「プロレタリア」は「不安定要素」と見なされて、もし陳情に行って不満を言い立てて、中国共産党の聞きたくないことを言ったら、武力で鎮圧されるのも当然なことになっている。

今日、「階級闘争」の定義がさらに広くなって、外在の現れも複雑になっているが、ある標準によって社会成員を分類し、自分と違うイデオロギーを持つ人に打撃を加える本質は変わっていない。「階級闘争」意識の具体的な現れといえば、他人を尊重しない、他人に自分の意図に沿うように強制する、攻撃、貶す、誹謗中傷で相手の心、名誉と人格を直撃する、話す態度が悪い、言い争って罵倒し戦い合う、権力、利益、生活条件、感情、または人脈を駆使して相手を圧服しようとする、他人の都合をあまり考慮しない、物事を良い方向に運ばせる積極的な発想でなく、闘争的、物事を破壊させるような発想で問題を解決しようとする、などなど。

人間の個性、才能、仕事、家庭状況、財産の多寡、生活環境、文化背景はそれぞれ異なって、古くからどの国においても、人類社会に相違ないしトラブルは存在する。しかし、共産党はこれらの相違の生じる原因を階級に帰結させ、闘争の方法で解決を求める。その教育を受けた中国人は黒か白か、これかそれか、友人か敵かのように単純な問題視しかできず、人間の思惟と行為はもともと複雑なもので、世の中に完全な対立と完全な一致は存在しない、完全に一致しなくても協力と認めることはできる、などを忘れた。問題を解決する時も、他人の都合を配慮する、他人の意見に耳を傾く、謙虚など中華民族の伝統美徳と西洋のチームワーク意識が欠けて、多元化と包容は尚且つできない。少し相違があれば、とても自然に闘争の手段で解決しようとする。中国人特有の「内部消耗」現象をみんなよく知っているだろう、その背後にも「階級闘争」の観念は大いに影響を出していると思う。

もし一九八〇年代まで発動された政治運動の中で、民衆が動員され、脅迫され、利益で誘惑されていたとしたら、数十年後の今日、運動につれ恐怖心理が増え、闘争思想も深く頭に刻まれた中国人が、中国共産党の指揮棒に従って戦うことは、むしろ日常のごく自然な考えと行動になったとしてもやぶさかではない。

結び

政治は正常な社会生活の一部分であるが、最も重要な部分ではない。党文化に侵入された後、中国人の生活は強制的に政治に引っ張りこまれた。伝統的な祝日は廃止されるか内包が歪曲されて、国民はしかたなく共産党が定める祝日を祝うようになり、党の喜怒哀楽の慶祝が中国人の慶祝となった。結婚のような人生の大切なことにも党の意見が挟まれて、結婚式に天地と両親を礼拝する儀式がなくなり、夫婦が互いに尊敬し合う誓いもしないが、党に感謝し党に忠誠心を表すようになった。

洪水対策、計画的な出産などを討論する時、中国共産党は「科学的な政策をまだ打ち出していない」のでなく、中国共産党は「科学的な政策を打ち出すことが出来ない」と、すべての中国人にはっきり見抜いてほしい。問題解決において、中国共産党の持つ基本的な考えは科学的な政策でなくて、「闘争哲学」だったからである。「洪水と干ばつと戦って、天地と闘う」のスローガンは、共産党の自然と闘う態度を反映した。人口問題も教育と社会保障システムの改善を通じて解決できるが、中国共産党は人道的で温和的な方法を取らずに、一途に強制ないし殺す方法で出産を制御する。「男女に区別なし、女性も天の半分を担う」を宣伝して、男性と争うように女性を促しているいが、背後にはやはり「闘」の思想がある。「党の指示に従って戦う」の「戦」の字も「闘争」の思想を反映している。

党文化の闘争思想、弱肉強食、適者生存の邪説を注ぎ込まれてから、日常生活にも中国人は闘う思想で問題を解決しようとする。トラブルが起きた時、「よく話し合って解決」、「一歩引いて天地が広くなる」と思うのでなく、強制、殺人、大衆運動など闘争の手段を取ろうとする。自然界と関係ある問題に遭ったら、自然に順応するのでなく、天道に逆らって無理矢理に推進しようとする。

深く掘り下げれば、「闘争哲学」の根源は中国共産党が宣伝した無神論と唯物論に大いに関係があると分かる。神の存在を信じないため、天地を畏敬しないし「仁愛の心」も持たないが、これは広められた闘争思想が原因である。

党文化を剥離してこそ、中国人ははじめて正常な生活を送ることができるのだ。

(第7章完)