【党文化の解体】第8章(8)

【大紀元日本10月7日】

2.党から離れない創作の習慣性

2)「党」から離れない創作内容

延安時期の早くから、「文芸は政治のために奉仕すべき」として、中国共産党は文芸作品の基調を決めて、政権を奪った後でも、この「文芸の指導方針」を変えたことがない。また、中央宣伝部がこの方針を強制的に全国で遂行させるため、文芸作品の創作は共産党の要求下に置かれている。

中国中央テレビ局は毎年全国トップクラスの役者と脚本家を集めて、春節祝賀番組を制作する。その番組は全国数百社のテレビ局、ないし海外の中国系テレビ局に中継される。番組は過去一年間の中国の政治、社会と芸術創作の縮図とも言え、実に党文化の集中的な現われである。二十一世紀に入っても、少しでも中国共産党の暗黒統治を風刺することが許されず、テーマが定められた番組専用の歌詞が作られている。例えば「良い生活」、「生活はますます良くなる」、「五福が一斉にやってくる」、「万家の歓喜」、「盛んな時代の大きな親睦」など。このように国民が一緒に祝うべく番組は共産党の祝典になって、党文化は伝統文化を取って代わった。庶民の苦痛、民族の危機は濃厚な政治空気に遮られた。

(イラスト・大紀元)

共産党は文芸作品の基調を厳しく定めたため、その要求に従わない作品は封殺される。

古来から中国各地に多くの優美な民謡があって、ずっと民間で伝わっている。民謡の内容は男女の恋と山水に対する賛美がメインで、中国共産党の「文芸は政治のために奉仕すべき」という基調からかけ離れるため、二十世紀の八十年代まで、民謡はあまり中国共産党に目をつけられていなかった。しかし、共産党を謳歌するための歌に改ざんされてから、優美な民謡は政治内容を加えられて、国民に懐かしく歌われて、中国共産党にも好かれる「新民謡」に変わった。例えば、「東方紅」、「解放への感謝」、「つつじの花が鮮やかに咲く」などは陝北の民謡を、「草原に不沈の太陽が昇る」、「馬に乗って草原を亘る」はモンゴル民謡を、「北京の金山の上で」、「ハタを毛主席に捧げる」はチベット民謡を、「ウスリー川の船歌」はホジェン族の民謡を、「毛主席よ」はハニ族の民謡を改ざんして作られた歌である。これらの民謡は「再創作」されて、もう一度民間に伝えられた後、各民族の民衆はみな熱狂的に中国共産党を推戴しているように聞こえる。一方、中国共産党はこのような民謡に取り憑いた作品を以って、自分は「民族音楽を発展した」と吹聴する。

二〇〇五年、湖南衛星テレビ局の「超級女声(スーパーガール)」番組は全国を風靡し若者に大歓迎されて、番組の人気は中国共産党の専用メディア・中央テレビの地位まで脅した。すぐに、この純粋な娯楽番組は非難を浴び始めて、封殺の声が蜂起した。翌年の超級女声大会に、主催者はわざわざ共産党の賛歌を歌って有名になった所謂「大御所」を招待し、大会のチャンピオンと一緒に「馬よ、ゆっくりと走って」、「山歌を捧げる」など「赤色な革命歌」を歌ってもらい、大御所に若手の歌手を指導してもらった。恐らく主催者は仕方なく、中国共産党が独占している文芸基調に屈しなければならなかったのだろう。

共産党が否定したものを自分も否定しなければならないことは、創作内容が「党」から離れない思考習慣のもう一つの顕れといってもよい。このように、神さまに対する信仰は迷信とされて、伝統文化は独断の同義語にされて、中国共産党誕生前の歴史人物にきっと「歴史的な制限」があるとされ、「封建」という言葉一つで中国の伝統美徳、歴史上の著名人物などは全部別冊に書き入れられ、文化大革命の主犯は「四人組」だけにされて、数千万人の命を奪った人為的な飢饉は「自然災害の三年」にされて、「六四」殺戮の政府の行為は大目に見られ、かえって学生らが責任を問われ、法輪功に対する誹謗中傷はさらに天地を覆い隠すほどひどく、中国共産党と一致しない政党と団体に言及する時、貶す口調を使わない時がほとんどなく、中国共産党に従うと「愛国」と思われ、中国共産党を批判すると「反中華」のレッテルを貼られる。中国共産党に否定された対象は、芸術創作の中でもよく批判され、醜悪化されて、故意に歪曲される。

中国共産党の悪い一面、および中国共産党の攻撃の対象は創作の禁止区域となり、文芸作者はそれを避ける。その禁止区域(例えば民主、立憲政治、人権などの話題)に触れた記者、作家は次々と逮捕される。それで、一般の作者は敏感な話題にたまに触れても、真実と遠くかけ離れて、中国共産党の基本原則に触れずに、中国共産党の「輝かしいイメージ」を影響しない程度に止まる。

今の文芸作品は題材が広くて、作品の数量もとても豊富になった、と多くの人が思う。特にここ数年来、情報技術の発展につれて、文芸の創作に携わる人が多くなって、創作の題材も広くなって、過去に想像もしなかった題材も取り入れられて流行した(例えば、「下半身の創作」と呼ばれる「性文学」)。しかし、大衆の創作は完全に自由になって、共産党を離れても良いと思ったら大間違いである。逆に、これらのテーマは中国共産党のイデオロギーを脅していないと知った上で創作されたのだ。共産党が決めた禁止区域はしっかりと民衆の頭に刻まれたため、禁止区域を避けながら巧みに境界線の線際で活動するのは習慣的な考えになった。これはまさしく中国共産党が定めた創作規則に対する服従そのものではないのか。

(続く)