【党文化の解体】 後記

【大紀元日本12月25日】中国はかつて神が愛顧して文化を残した主要な場所であった。古代に人間と神は共存し、神の指導のもとで中国人は人体、生命と宇宙の謎を探求して太極、河図、洛書、周易、八卦、漢方医、漢字、予言など輝かしい文化を形成した。慈悲深い神仏が世に下生して衆生を済度し、多くの奇跡と感動的な伝説を残して、神仏は共に東方の神秘色を帯びた中華神伝文化(半神文化)を形作った。この独特な文化のおかげで、盛大な人類文明の歴史の中で、古代中国文明は奇跡的に連綿と受け継がれてきたのだ。

宇宙は長い歳月の中で、縦方向と横方向の空間の無数な生命体は成、住、壊、滅の過程を経歴し、今日に至っては各空間の悪い生命体が共産邪霊を按排し、この邪霊を利用して人間世界の形式では共産党が人間に危害を与えているのである。短い数十年の間に中国の大地に、共産党は強権政策をとって無神論と唯物論を武器にし、神伝文化の精華を破壊し伝統文化を否定して、「マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリン、毛沢東」の偉大さを宣伝して、計画的に伝統文化に取って代わって、共産党の文化の理論を確立した。

また極端な暴力手段を使って儒教・仏教・道教と伝統観念を批判して、闘争思想、弱肉強食、進化論、近代科学などを注入して、中国人の思想を改造し国民を共産党の一粒子にした。共産党は更に社会生活の隅々にまで届く宣伝手段、つまりマスコミ宣伝、教科書、御用文化人、各種の文芸などを駆使して、徹底的に国民を洗脳した。それで国民は変異した道徳基準と考え方、八股文の話し方、暴力行為などを通常の基準とするようになった。これで中国共産党は自身の生存のために必要な邪悪な土壌、つまりを「党文化」を作り上げた。

神が再び世に下りた時、神の子たちは神を信じなくなったのみならず、また最も悪辣な言葉で神を呪ってあざ笑っている。

しかし、歴史は共産党を大いに笑いものにしようとしている。中国の伝統文化を破壊した今日、どのように中国国民十数億人の文化面の需要を満足させるのか、どのように海外に中華文化を広めるのか、どのように今起こっている「中国語熱」に対応するのか、どのように西洋の文化と宗教とに平衡をとるのか、中国共産党は未曽有の文化的危機に直面している。「中国製」の安値製品が世界に充満している中、「先進的な文化」の代表と自称する共産党は意外に、その「先進的な文化」―無神論、唯物論、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想など―を少しでも外国に輸出しようとしない。西側の大統領が中国を訪問した時、教会で礼拝することはあるが、中国の指導者が外国を訪問した時、公に「マルクス・レーニン主義の先進的な文化」の講座を開くことは一回もなかった。

中国共産党はその文化が袋小路に陥った時、かつて批判して倒した「時代遅れ」の中国伝統文化に目を向けた。中央テレビ局に『千手観音』の舞踊を放送して、孔子廟の門前も賑やかになり、中国共産党は「郷里の宗教」を発展させようと動き出した。

舞踊『千手観音』に表現した観音菩薩は、中国人の最も熟知して崇拝する神である。しかし監督から役者まで、舞踊の内容と創作過程について言及した時、この舞踊にある「神」の内包を認めておらず、「観音菩薩はただ勤労大衆の善良の化身に過ぎない」と言って、つまり観音菩薩は一介の凡人だと言っていた。「相は心から生ず」、芸術作品はまさに芸術家の心の反映になる。無神論者によって神のストーリを表現されると、役者の熟達した技巧以外、人間を苦難から救う覚者の慈悲、神聖と崇高を視聴者は感じられなくて、また神と疎通する時の感応、自我の昇華も得られない。

孔子廟で祭典を行う時、祭典儀式のやり方すら「忘れられて」、祭典現場は野菜市場のようにめちゃくちゃで、更に、供え物の牛の尾とブタの尻を孔子像に向けたというおかしいことまで起きた。表の礼儀作法を習得したとしても、心の中に「神伝文化」に対する尊敬がなくて、孔子を使ってただ金儲けをするに過ぎない宣伝は、かえって伝統文化をもっと破壊してしまった。宗教は「解脱の彼岸」を唱えるが、中国共産党に支持される宗教は無神論の共産党の指導を受けないといけない。このようになった宗教は、何を以って神の教導に対面できるのであろうか。伝統文化の名義で党文化を飾る「祭典」は、中国共産党による伝統文化に対する再びの蹂躙である。

博大且つ奥深い神伝文化は、共産党に神の内包と文化の魂を取り出されて、飾り物として使用される殻しか残っていない。信仰を失ったら必ず道徳の喪失と文化の堕落を招く。今日の「中国語熱」が現れたのは、乱世の中国に外国人たちがうまい汁を吸おうとした結果で、唐の時代に中華文化を敬慕するために、世界各国の使者が朝廷へ来て礼物を献上するような「萬邦来朝」の盛況とは全然違うものだ。中華文化は共産党によってここまで破壊されて、まだどれくらいの文化真髄が残っているのか。どうやって世界に立脚できるのか。 文化の根源を失った中華民族はどこに向いて歩むのか。

八十年代に入ってから行われた経済改革は中国にとって、歴史がくれた機会でありながら厄運にもなった。窮地に陥った共産党は自らを救うために改革開放を切り出して、中国を錯綜して見通しが見えない境地に連れ込んだ。長期にわたり貧しい生活を耐え切った中国人は、少し緩和された政策のもとで良い生活への熱烈な願望が爆発して、安値の労働力、勤勉と知恵が経済的な奇跡を起こした。経済の発展には、文化と道徳の支え、および発展に適応する政治体制の支えを必要とする。しかし現在、十数億人からなる巨大な経済体を支えるのは党文化で、党文化はちょうど伝統文化と道徳信仰を扼殺する首謀である。地球に中国熱が起きて中国はますます重要な国になり、中国社会の至るところに危機が潜んで、道徳、誠実と信用はなくなり、社会全体が深刻な腐敗に陥って、生態環境が極めて悪化して、貧富格差は世界一大きくなり、不公平な事は社会中に充満して、民の怒りは爆発寸前になり、国民は信仰を失ない、メディアは真相を封鎖し、人権状況が空前に悪化し、外国企業は中国に行ってうまい汁を吸おうとし、中国の金持ちは資金を持って海外に移住する……中国の飛躍を予測する人もいて、中国がきっと崩壊してしまうと言う人もいて、本当に乱れた世相である。

全ての乱れた現象の根源は共産党であると、国民は意識していないのではない。反腐敗、環境保全、金融危機の解決、人権と信仰問題も、根本的にいえば皆体制の問題だ、すべての問題は最後に体制の問題に関係している、と中国共産党メディアでさえそのように討論していた。しかし体制の問題は党の問題で、中国共産党は決して指導権を手放さないのだ。そこで、党は中国のすべての問題を解決するための障害となり、中国の問題を解決して中国文化を再建するために、共産党の要素を取り除くことは前提条件となっている。

中国国民は乱れた現象の原因を見つけ出したが、出口が見つからない、なぜなら糸口であるカードが党文化の上にあるからだ。共産党が作り出した虚言と恐怖の雰囲気に包囲されて、国民は虚言を信じてしまって、あるいは恐怖に震え上げられたため、共産党の危害を知っていても、無意識に共産党のために弁護したりする。『党文化の解体』は詳しく党文化の成立過程と様々な現れ方を闡明して、中国人に党文化から脱出して党文化を解体して、正常な考え方を回復することを望むものだ。実は、中国共産党がでっち上げた嘘はどんなに魅力的に見えても、基本の道徳、是と非で判断すれば、その嘘は一撃にも耐えられないものだ。

中国の発展を中国人誰もが望んでいて、中国共産党も「中国の発展のため」と唱えて民衆を騙し続けている。しかし、中国共産党が解体して、国民が党文化思惟の中から抜け出せない限り、中国は本当の飛躍を迎えることができない。かつて中国は「天朝、上国」と称され、「九重の天宮の門が開き、万国の使者が正装して中国に礼拝する」の盛況さであった。中国の強さは、単なる経済と武力の強大さだけでない。アレクサンダー、カエサル、ナチスドイツの帝国の武力と経済は皆一時期とても盛んであったが、皆とても速く崩壊した。文化の力に頼って民族を五千年も存続させられたのは中国だけである。

党文化を解読する中で、私たちはずっと党文化を中国の正統文化、現代自由社会の文化と比較していた。しかし私たちは決して文化の復古を主張しているわけでない。中国の数千年に伝わる中国文化の中にも多くの糟粕が存在して、党文化の創立と成長のための土壌となった。私たちが尊重しているのは儒教・仏教・道教を含んだ「天を敬い、人を愛する」、生命を大切にする、徳を重んじて善を行う精神で、および人間と自然、人間と社会、人と人の間の調和がとれた共存である。

『党文化の解体』で批判した問題の一部は、実は共産党が作り出したのでなく、人間性自身の弱点から由来するものである。しかし、神伝文化ならば、人間にその弱点を反省させて修正させるように助けるが、党文化は人々に外に向かって原因を探すようにわざと誘導したり、ないし強制したりして、人間性の弱点を拡大また利用して、その破壊力を他のどの社会と時代をも超えるようにする。そのため、自身の道徳と良知に対して反省と再考をしない限り、中国人たちは頭のミクロ次元に存在している党文化を除去することができず、甚だしきに至っては党文化が建立される過程でこれを助長して口実を探し、敢えてこれを直視しない。

中国共産党は崩壊寸前まで来たのだが、依然として巨大な怪物であるため、その陰に暮らす多くの中国人は現実の中でただ無力感を覚える。三年、五年、十年、三十年……、共産党がいつ崩壊するかを、人々は数えている。実は、歴史の発展を予測する時、歴史はよく予想もしない要素によって変えられることを、中国人は忘れた。歴史上で無数の強権が突如として崩壊し、偶然かのように見えるが、すべては神の按排である。

神を敬わないと必ず天罰が当たる。天が中国共産党を滅ぼすのもまた天意である。共産党は荒れ狂って強く振舞っているが天意を免れることができない。『中国共産党についての九つの論評』とそれが巻き起こした脱党運動は、まさに天意の現れである。党文化を解体して党文化の毒素を除去するのは、まさに天意に従う必然な行動である。

(イラスト・大紀元)

党文化を解体してこそ、はじめて中華民族の飛躍が実現でき、人間と神様は再びつながることができ、人と人の間の関係が睦まじくなり、はじめて中国人は広大で美しい新天地の中で身を修めて徳を養って、生き生きと存続していくことが出来るのだ。

(完)

【編者注】2008年3月14日にスタートした本連載も、これで全章終了となります。長らくのご愛読、ありがとうございました。