世界最大の佛像 楽山大佛

【大紀元日本7月15日】中国四川省楽山市凌雲山の岩壁に彫られた巨大な楽山大佛(らくさんだいぶつ)。世界最大の佛像として知られており、近隣の峨眉山とともにユネスコの世界遺産に登録されている。

大佛建造の経緯

楽山大佛は唐代の開元元年(713年)から彫られ始め、貞元19年(803年)に完成するまで90年の歳月が費やされた。唐代・韋皐の『嘉州凌雲大佛像記』と明代・彭汝実の『重修凌雲寺記』などの本の記載によると、楽山大佛建造の発起人は海通和尚である。和尚は貴州人で、凌雲の山の中で修行していた。凌雲山麓は岷江と大渡河、青衣江の合流する場所であり、水のいきおいが激しく、よく船が転覆した。特に夏の増水期には多くの悲劇が生まれた。

海通和尚は山の岩崖に弥勒佛像を彫り、佛像の神通力に頼って暴れている川の水を鎮めようとした。和尚はあちこちを托鉢して回り、数年がかりで必要な資金を用意したという。 

早速、建造工事を始めようとした時だった。欲深い地方官_li_が、補償費を納めなければ工事を始めてはいけないと言いがかりをつけてきた。海通和尚は憤慨し、「たとえ私の目玉を持って行ったとしても、決して佛財をあなた達に譲るわけにはいきません」と言った。

すると官_li_は、「本当にあなたの目玉をもらえるのなら、お金を納めなくても良い」と言った。官_li_は和尚が本当に目玉をえぐり出すはずがないと思ったのである。しかし、海通和尚は話を聞くやいなや刀で自分の目玉をえぐり出し、皿の上に載せて官_li_の目の前に差し出した。驚いた地方官_li_は慌てて現場から逃げ出したという。海通和尚は激痛に堪えながら建造工事の開始を命じたが、完成を見ずに亡くなった。その後、彼の弟子が建設を引継ぎ、90年間の歳月を経て完成した。

楽山大佛は岷江、大渡河、青衣江の合流するところにそびえ立ち、工事で出た大量の土砂を川の中に投入したことにより、水の流れはかなり緩やかになり、水害は大幅に減ったという。

大佛の構造

楽山大佛の頭は山頂と同じ高さにあり、両足は川岸を踏みつけ、両手は膝にあてられている。体のバランスがよく、表情は厳かで、川に面して座っている。

頭から足までの高さは71メートル。足甲部は百人以上が座れるほどの大きさだ。

大佛は巧みに設計されており、風雨の浸食を防ぐために隠れた排水溝が造られている。頭部の18層の髷の中には第4層、第9層と第18層にはそれぞれ1本の横方向の排水溝があり、胸部から腕にかけても排水溝がある。両耳の後方で洞穴に連通している。胸部には洞窟があり、効率的な排水と通気作用を果たしている。これらの造りが、大佛の侵食や風化を有効に防いできたといわれている。

目を閉じた大佛

1959年から1961年までの3年間、共産政権の大躍進政策により中国は大飢饉に陥り、全国で3千万から4千万の人々が餓死した。その時、四川省でも多くの死者が溢れ、埋蔵する気力をなくした地元民は、死人を莚で巻いて川の中に投げ込んだ。

大佛の足元は三つの川の合流地点であり、毎日多くの屍骸が大佛の目の前を流れた。これを見るに耐えなかった大佛が、ある日突然、目を閉じたといわれている。当時科学的な方法でその原因が調査されたが、答えは得られなかった。その後、佛像が目を閉じるのは不吉だと判断した現地政府は、改めて目を開けるように彫り直したという。当時目を閉じた大佛像の写真は今でも楽山陳列館に保存されている。

 (翻訳編集・東方)