【ぶらり散歩道】ー東京篇ー 徳川家の菩提寺 増上寺

【大紀元日本9月5日】JR浜松町駅で下車して大門(表門)を通り過ぎると、1605年(慶長10)建立の大きな中門(三解脱門)がある。三解脱門(国重文)とは、三つの煩悩(むさぼり、いかり、おろかさ)を解脱する門のことを指し、増上寺の表の顔として有名である。増上寺と言えば、最初に浮かぶのはこの門であろう。増上寺は、正式には三緑山広度院増上寺と言い、上野の寛永寺と並ぶ徳川家の菩提寺である。

優美で宏大な中門をくぐると、右手に大きなヒマラヤ杉がある。1879年(明12)、アメリカ第18代大統領グラント将軍が来日し、参拝記念に植樹したのでグラント松と呼ばれている。

ひときわ目を引くグラント松

近くにある鐘楼堂は、1633年(寛永10)に建立されたが、現在の鐘楼堂は戦後の再建によるもの。梵鐘は1673年(延宝元)に製作され、高さ約3m、重量約15tと巨大である。江戸時代の川柳に「今鳴るは芝(増上寺)か上野(寛永寺)か浅草(浅草寺)か」と言われるほど親しまれた梵鐘はさすがに大きく圧倒される。

中央に見える大殿は、戦災で焼失した本堂を1974年(昭49)に再建している。ご本尊は阿弥陀如来(室町期製作)で、両脇壇には高祖善導大師と宋祖法然上人の像が祀られている。大殿はどこから撮影しても、東京タワー(1958年建設)が従者のようにフレームの中に映ってくる。

水盤舎は清揚院殿霊廟(甲府宰相綱重)の一部だったが、明治の解体、昭和の空襲を逃れたものを、現在地に移転したものである。手水の場所としては、隅々まで目配りされている建築物である。

黒門(旧方丈門)は1648~1652年(慶安年間)に建立されている。増上寺の方丈(庫裏)への表門は四脚門で、全体が黒かったことから黒門と呼ばれている。1980年(昭55)に通用門として日比谷通りに移築された。

増上寺の東側に隣接する東京プリンスホテル正面に、1716年(享保元)に建立された7代将軍徳川家継の有章院霊廟の二天門(国重文)がある。霊廟は1945年(昭20)の戦災で焼失したが、焼け残った二天門は銅瓦葺き、切妻造りの八脚門で、左右に広目天、多聞天の像が祀られている。残った彩色から、往時の華麗さがうかがえる二天門である。

この周辺には、ペルリ提督の像や万延元年遣米使節記念碑など、見るべきものが多い。また、機会をみて紹介したい。

〒105-0011 東京都港区芝公園4-7-35
TEL:03-3432-1431  無休、拝観無料

北方を守る多聞天(毘沙門天)

西方を守っている広目天

堂々たる風格の黒門

水盤舎(港区指定文化財)

大殿とどこにも顔を出す東京タワー

千社札が汚い鐘楼堂と大梵鐘

裏から見た三門

(江間十四子)