【漢詩の楽しみ】 送梁六(梁六を送る)

【大紀元日本11月7日】

巴陵一望洞庭秋
日見孤峰水上浮
聞道神仙不可接
心随湖水共悠悠

巴陵(はりょう)一望、洞庭の秋。日に見る、孤峰の水上に浮かぶを。聞く道(なら)く、神仙(しんせん)接すべからずと。心は湖水に随いて、共に悠悠(ゆうゆう)たり。

詩に云う。巴陵の山から一望するのは、洞庭湖の秋の風景。日々に見るのは、湖中に浮かぶ君山(くんざん)の孤峰が、水上に映る姿である。聞くところによると、神仙とは近づくことができないものだというが、神仙へ向かう私の心は、この湖水とともに悠々と満ちている。

初唐の詩人、張説(ちょうえつ、667~730)の作。

初唐のころといえば、太宗皇帝の理想政治である「貞観の治」が過ぎ、則天武后武則天)による専横の時代がその中に挟まれる。周という国号を建てたこの時代は、唐が一時的に断絶したため武周(690~705)と呼ばれ、中国史上、唯一の女帝となった則天武后により、恐ろしい政治が行われた。

そんな災い多い時代にあっても、張説は、なかなか気骨のある人物だった。門閥貴族出身ではない上、権力者に対して直言をはばからない性格であったらしく、地方官への左遷の憂き目を何度となくみている。それでも玄宗の時代になると、その信任の厚さによって中央に復帰し、尚書左丞相という高官に就く。

梁六は、梁知微という人物で、張説とは詩を唱和する良い友人関係にあった。

梁六はこの時、赴任先の譚州(湖南省長沙)から長安へ上る途中、わざわざ張説のいる洞庭湖畔の岳陽に立ち寄ったらしい。その親友を都へ送り出すに当たって詠まれたのがこの一首であるが、詩に込められた作者の思いは、ことのほか深い。

ここでいう「神仙」とは玄宗皇帝のことであり、湖中にそびえる「弧峰」は長安をさす。まだ左遷の身であった張説は、皇帝と都へ寄せる自らの熱い心情を、都へ上る友人への送別詩に託したのであった。

 (聡)