『樹提伽経』によると、天竺国頻婆娑羅王の下に、樹提伽という大臣がいた。彼は莫大な財産を有し、自由自在にそれを使うことができた。
ある日、国王が政務のために宮殿にいると、突風に吹かれて白く細いタオルのような布が宮殿の前に落ちて来た。よく見てみると、この世のものとは思えないほど美しい布だった。国王が布を臣下たちに見せると、皆は「これは国運が隆盛に赴く天からの兆しです」と言ったが、樹提伽だけが何も言わなかった。国王は不思議に思って理由を聞いた。すると樹提伽は、「王様を騙してはいけません。実はこれは私の手拭きで、池の近くにかけましたが、風に飛ばされてこちらに落ちてきただけです」と答えた。
数日後、今度は九色の車輪のように大きな花が宮殿の前に落ちてきた。国王がまた樹提伽に聞いてみると、「王様を騙してはいけません。これは家の庭園の裏に咲いた花で、風で飛ばされてここまで来たのです」と答えた。国王は半信半疑になりながら、樹提伽に聞いた。「今度、そなたの家に行ってみたい。二十万人連れて行くが、よろしいか」と聞くと、「どうぞ、御意のままに」と彼は答えた。「いつ行ったら準備が整うだろうか」と国王が聞くと、樹提伽は「いつでもかまいません。家には自然な寝床があり、特別に用意することもありません。食事を作る必要もなく、食事は自然に届き、食べ終わったら下げられます。ご心配はいりません」と答えた。
早速、国王は二十万人の臣下や召使いたちを連れて樹提伽の家に着いた。南門から入ろうとすると、そこに30人くらいの可愛い男の子たちがいるのが見えた。「彼らはそなたの息子なのか」と国王が聞くと、「彼らは、門番をする下僕です」と樹提伽が答えた。国王たち一行が更に前に進むと、今度は内門に30人の美少女たちがいる。「彼女たちはそなたの娘なのか」と国王が聞くと、「彼女たちは内門の下女です」と答えた。
また前に進むと、広間の前に着いた。そこは白銀の壁、水晶の地でできていた。国王は水だと思い、前に進めなかったが、樹提伽は「この地は堅固であり、壊せるものはありません」と言った。
彼は国王たちを前へと案内し、金のベッドに座るようすすめた。樹提伽の妻がゆっくりと歩き出し、国王にお辞儀をした。彼女が頭を下げると、彼女の目から涙が流れている。国王が泣いている理由を聞くと、「国王の身についている煙で涙が出てしまいました」と答えた。国王は「庶民は脂を使い、諸候は蜜を使い、天子は漆を使う。漆は煙がないのになぜ涙が出るのか」と聞いた。樹提伽は、「家は明月真珠が宮殿に掛かっていて、昼夜明るいため、火を使わないのです」と答えた。それを聞いて国王はなるほどと納得し、大喜びした。樹提伽の広間は十二階もあり、雄大で壮観な建物であった。国王はそれぞれの部屋から見える風景を楽しんでいると、いつの間にか一ヶ月経ってしまった。大臣が宮殿へ戻るよう説得したが、国王はもう一ヶ月庭園を遊覧した後に戻ると言った。
国王たちが宮殿に帰る時、樹提伽は絹織物を土産として二十万人に渡した。国王は宮殿に戻り、臣下たちに言った。「なぜ樹提伽は私の臣下なのに、私よりも裕福な生活をして、莫大な財産を所有しているのか?私は四十万人の兵士を率いて彼の財産を奪い取ろうと思うが、どうだろうか」と聞いた。臣下たちは「賛成です」と答えた。
そして国王は、四十万人の軍隊を動員し、樹提伽の家を厳重に取り囲んだ。その時、門から一人の大男が歩いてきて、金の杖を振り回すと、四十万人の兵士が一斉に倒れて立ち上がれなくなった。樹提伽が雲母宝車に乗って現れ、「立ち上がりたいか」と聞くと、皆は「はい、助けて下さい」と答えた。樹提伽が手を上げ振ると、四十万人の兵士は再び立ち上がった。国王はこれを見ると、引き上げることにした。
その後、国王と樹提伽が一緒に釈迦牟尼佛に会い、樹提伽の前世の因縁を聞いた。「大昔、一人の商人が山道で、病んだ僧侶を見かけた。商人は僧侶を憐れみ、家に招き入れ、食事を作り、一生懸命世話をした。商人はこの功徳を持って『来世は天国の恵みを受け、佛道を修め、衆生を済度する』と発願した。彼は過去の布施のため、今生は地上にいながら天の福を受けられるのだ。その商人はすなわち樹提伽で、病んだ僧侶は私なのだ」
(清代の周思仁『安士全書』より)
(翻訳編集・蘭因)
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