北宋の政治家で、歴史家でもある司馬光(1019 – 1086)は、紀元前403年から紀元969年までの歴史を編年体でつづった『資治通鑑(しじつがん)』を編集した人物。この歴史書は、実際に政治をする上で参考にすべき書として、後代の王朝では大変重宝され、司馬光も、偉業を成し遂げた学者として尊敬されている。
司馬光は、人間を4つのタイプに分類した。万事怠りなく機敏で徳と才能に恵まれた人、馬鹿で才能も徳もない人、高貴で徳は高いが才能はない人、卑しい性格で徳もないが才能には恵まれた人。
彼が官僚を人選するとき、まず選ぶのは「万事怠りなく機敏な者」のグループからだった。2番目に選ぶのは、「高貴な人」のグループで、もしその両方から最適な人物が見つからなければ、「卑しい性格の人」のグループから選ぶより、「馬鹿な人」のグループから選ぶと言った。なぜならば、才能があって徳を欠く人物は、才能がない人物より危険だからだ。
司馬光によれば、才能があり、徳の高い人物はよい行いを通して偉業を成し遂げるが、卑しい人物は、たとえ目的が達せられても、その過程で必ずしも正しい行いをするとは限らず、往々にして残酷な手段を使うからだ。従って、人選の任についた者は、慎重にならなければならず、才能ある人物に惑わされず、徳があるかどうかも見極めなければならない。
歴史上、精神的に堕落した皇帝や、裏切り者の高官、父親が裕福で甘やかされた馬鹿息子などは、皆徳を著しく失った人物で、彼らのために国や地方が大損害を被った例は、たくさんある。歴史上悪名高いのは、殷の紂王、周の幽王、隋の煬帝などで、彼らは才能に恵まれていたにもかかわらず、徳を欠いていたため、国家を滅ぼすことになった。
歴史の教訓から、司馬光は徳の必要性を強調した。特に、国の高官や皇帝には、徳の高い人物が選ばれるべきだと説いた。
(翻訳編集・田中)
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