春秋時代、魯の国(現在の山東省)に李文子(り・ぶんし)という宰相がいました。李文子の家は非常に裕福でしたが、当時の高官としてはめずらしくその暮らしは質素なものでした。
孟献子の子・孫仲(そんちゅう)が李文子を訪ねてきた時のことです。孫仲は「あなたは宰相の地位にあるのに、家族の着ているものは質素なもので、馬が食べているものといえば粗末な餌ではないか。皆はあなたを金にうるさいケチな人間とみるだろう。宰相がこんなことでは国家の威信に関わる」と言いました。
李文子は答えました。「もちろん家族が上等な衣を着て、馬たちが肥えるのは結構なことでしょう。しかし多くの庶民は粗末な食事をとり、古着を来て過ごしています。私は自分と庶民との間に差をつけたくないのです。それに国の威信を上げるのは、高官が着ている衣服や馬ではありません。高潔で徳のある高官こそ、国を繁栄させるのです」
孫仲(そんちゅう)からその話を聞いた孟献子は感心し、息子を厳しく叱りました。その後、孫仲は李文子にならい、家族と共に質素な服を身に着け、馬には干し草を与えるようになりました。
孫仲の話を聞いた李文子は言いました。「自分の過ちを改めることができる人はなかなかいないものです。彼は、きっと他の人たちのよい模範となるでしょう」。李文子は孫仲を上大夫という高い位に任命しました。
李文子はその後も忠実に国事に仕え、民衆のために心を尽くして働き、また家では倹約し、質素な生活を送ったそうです。魯の国の人々もこれにならい、彼の名声は末永く語り継がれました。
(明慧ネット/翻訳編集・郭丹丹)
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