墨子(ぼくし)は戦国時代の思想家である。「兼愛(博愛主義)」と「非攻(非戦論)」を説いて全国を遊説し、当時の儒家と同じくらい名声を馳せていた。ある日、楚王が墨家の弟子の田鸠氏に尋ねた。「墨子は有名な学者で、自らの実践は良いのだが、言葉が硬く聞きづらいのは何故か」
田氏は答えた。「例をあげましょう。昔、秦穆公(しん ぼくこう)は、娘を晋国の王子に嫁がせようとした時、娘より付き添いの侍女らに綺麗な格好をさせました。すると、晋国の王子は娘ではなく侍女を気に入ってしまいました。また、ある宝石商が楚国から鄭国へ宝石を売りに行った時のことです。商人は、モクレンで美しい宝石箱を作り、シナモンの香りをつけ、表に赤と緑の翡翠を華やかに飾りました。訪ねてきた人はあまりにも綺麗な宝石箱に目移りし、宝石ではなく宝石箱を買いました。つまり、商人は箱を売ることは得意でも、宝石を売るのは下手だったということです」
田氏は続けた。「現在、社会で流行っている学説は皆巧みに美しく飾った言葉が多く、聞こえはいいが真実味のないもので、見かけは立派でも役に立たないのです。君主も往々にして、中身より文章のあやを重視しています。過去の王たちの思想を広め、聖王たちの主張を伝えるのに美辞麗句を並べるなら、人々は文章の華麗さに惹かれて本当の価値を見過ごしてしまいます。それでは、秦穆公や宝石商と同じではありませんか。故に、墨子の言葉の多くは綺麗事を並べ立てることはないのです」
楚王は田氏の話に深く頷いた。
(翻訳編集・蘭因)
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