明の時代の仙人であり、太極拳の創始者、張三丰は、世間で数多くの奇跡を起こし、多くの王族や貴族、権力者が彼に会いたがって、相次いで招待状を送りました。しかし、縁がなければ、例え目の前に立っていてもその人が誰なのか分からないものです。縁があれば、常に人にやさしく接し、他人を思いやれる人は、いずれ仙人から恩恵を授かるでしょう。
金色に輝く神が夢に現れ、特効薬を授かる
明の時代にある心優しい学生がいました。ある日、その学生が目の病にかかり、すぐ目の前にあるものでもはっきり見えなくなったのです。彼は敬意を抱きながら神様に助けを求めました。
間もなくして、学生は夢を見ました。その夢に金色に輝く長いひげを生やした凛々しい仙人が現れ、その人は学生を目の前まで呼び寄せて、「あなたが常に誠実な態度で人と接し、誠心誠意をもって祈ったので、ここである処方箋をそなたに授けよう。この薬を使えば、そなたの目は再び見えるようになる」と言いました。
夢の中で、学生は仙人から教わった処方箋を忘れないようにしっかりと心に刻み込み、目が覚めた後も確実に覚えていることに喜びを感じ、すぐさま処方箋の通りに目薬を作りました。そして、教わった使用方法に従って目薬を両目にさしてみました。その結果、この学生の視力が元に戻り、再びはっきりと見えるようになったのです。仙人のご加護に感謝し、報うことができないので、彼は天に向かって線香を供え、跪いて真心を込めて仙人に礼拝しました。
その後、この学生が兗州に向かっている道中、張三丰の道観を通り、中に入って拝むことにしました。しかし、道観に入って、中の張三丰の塑像が目に入った途端、学生は驚愕しました。なんと、その塑像は夢に現れて目薬の処方箋を授けてくれた仙人と全く同じ顔、同じ衣装をしていたのです。
ずっと感謝し、敬意を抱いてきた仙人が今、目の前に立っていることに感激した学生は、塑像を見上げながら、目薬の処方箋を後世に残すことを誓いました。後に、この処方箋はかの有名な医師・李時珍によって、『本草綱目』の「金石部」に編入されました。
心優しき老人、仙人からの助け
明王朝天順の頃(1457年 – 1464年)、剣州にある老人がいて、毎日市場で粽(ちまき)を売って生計を立てていました。物乞いや疲れ果てた人が屋台の前を通ると、いつもただで粽を渡しています。
手間暇かけて粽を作っているのはお金を稼いで、生きていくためなのに、どうして老人はただで粽をあげたりしているのでしょうか?老人の行いを理解できず、原因を尋ねた人もいました。老人は「みんな長い道のりを歩いてここまで来たのだ。中にはお金を使い果たした人や、疲れはてた人、これ以上飢えを我慢できない者もいるだろう。わしは毎日、粽を売って生計を立てているが、大きな利益を求めてはいない。粽を1、2個分けたくらいで、生きていけないわけではない。ただ儲けが少し減るだけだ。大したことないさ」と答えました。
ある日、太陽が間もなく沈み、老人が屋台を片付けていると、どこからともなくある道人が現れ、老人に粽を1つ請い求めました。粽が余っていたので、老人はその道人に渡しました。粽を食べ終えた道人はもう1つ請い求め、老人は再び粽を渡しました。こうしてその道人は老人から粽を10個もらって食べたのです。
老人の行いを見た道人は「あなたは誠に寛大なお方だ。大したものを持っていないので、この紫の珠をお礼として、どうぞ受け取ってください。家に帰った後、この珠を甕の中に入れて蓋をして、翌日にまた開けてみてください。きっと奇跡が起こるでしょう」と笑いながら、老人に紫色の珠を渡し、そのまま去っていきました。
珠を持ち帰った老人は道人に言われた通り、甕に入れて蓋をしました。珠を入れた時、中は空で何も入っていませんでしたが、翌日、ふたを開けてみると、中にはお米がびっしり入っていたのです。これを見て老人は、「あの方が言った奇跡とはこのことだったのか」と笑いました。そして、老人はお米を取り出して粽を作り、いつものように、3割売って、7割を人に施しました。翌日、ふたを開けてみると、お米が再びびっしり入っていました。こうして、老人は毎日いっぱいになる甕の中のお米を使って粽を作り、人々に施しました。老人の恩恵を受けた人々はみんな心優しい老人を褒め称えています。
しかし時間が経つと、老人は不安になりました。甕の中のお米を全部取り出して見ると、紫色の珠が消えてなくなっており、その後、お米も増えなくなったのです。
それからしばらく経ったある日、道人が再び姿を現しました。彼は老人に自分の名を伝え、「あなたは多くの人に恩恵を与えました。道を修めませんか?」と尋ねましたが、老人は断りました。その道人――張三丰は、「この薬を飲めばきっと長寿するでしょう」と老人に1粒の薬を与えました。その場で薬を飲み込んだ老人は、直ちに体の中がすっきりし、活気が沸き上がってきたのを感じました。その後、老人は百歳を超え、ある日、自分の寿命が来たのを感じたのか、その場に座り、安らかに息を引きとったのです。
全文『張三丰先生全集』巻1に基づく
(文・杜若 訳 天野 秀)
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