少数民族――満州族の衣装
中国服として世界の人々が思い浮かべる装束の一つに旗袍が挙げられます。 高襟、細身のウェスト、切れ目の入ったスカートを特徴とする、いわゆるチャイナドレスです。実際は、漢服ではなく、中国最後の王朝である清朝を治めた満州族の伝統的な服装なのです。
古代中国の非凡な医術 生死さえ予知した名医(3)
趙銓は字(あざな)を仲衡と言い、高唐県(現在の山東省)の出身だった。彼は、飾り気がなく温厚で、医学に精通し、国子監(隋以降、近代以前の最高学府)に学士として入学した経験があった。
古人の知恵「過ちを正せば、運命は変わる」
明(みん)の時代のことです。
今の江蘇省江陰市にあたる場所に、張維彦という人がいました。まだ年は若いですが、文章がよく書けるので地元ではよく知られていました。
明開国の元勲 劉伯温の予言
元時代から明時代にかけて、江南の海寧に賈銘(1269年頃〜1374年頃)という富豪がいました。賈銘は字は文定と言い「華山の老人」と名乗っていました。 元の時代には、「萬戶」という軍事的地位を持っていたため、「賈萬戶」とも呼ばれていました。
天文観測で部下の災難を予知した永楽帝
古代の中国人は天文現象の理論を信じています。皇帝に情報の参考を提供するため、朝廷では天文現象の変化を報告する「欽天監」 (きんてんかん)などの専門役人がいました。皇帝の中には、自ら天文理論を学ぶ者もあり、永楽帝(えいらくてい)がその一人でした。
張三丰から恩恵を受けた学生と老人
明の時代の仙人である張三丰は、世間で数多くの奇跡を起こし、多く王族や貴族、権利者が彼に会いたがって、相次いで招待状を送りました。しかし、縁がなければ、例え目の前に立っていてもその人が誰なのか分からないものです。縁があれば、常に人にやさしく接し、他人を思いやれる人は、いずれ仙人から恩恵が授かるでしょう。
情けは人の為ならず
中国明朝の時代、永豊というところに羅倫という人がいた。羅倫が科挙を受験しに上京して行く途中、羅倫に付き添ってきた従僕が金の腕輪を拾った。しかし従僕はその事を主人には黙っていた。そのまま羅倫たちは北京へ向かっていたが、出発して5日後、羅倫は自分たちの旅費が不足していることに気づいた。
隣人の家を騙し取った男
現世で持っている富や地位は、前世で徳を積んだから。ただし、悪事を働いてそれらを得た人には、相応の報いと災難が待っています。悪事とは、盗み、利己、悪事のそそのかし、嫉妬など。人間の行動も、心に萌した念も、すべて天から見られているというお話です。
衝撃の現代史 20世紀で犠牲者最多の殺人とは?
ガンからコレラなどの病気、地震や津波などの自然災害まで、20世紀に多くの人々を死亡させた出来事は何だろうか?
天安門の毛沢東肖像画から見る「中国最大カルト」とは?
中国最高人民法院(最高裁)と最高人民検察院(最高検)は1月25日、「邪教(カルト)組織」を定義する『刑法』第300条の新司法解釈を共同で公布した。いっぽう、中国共産党政権が定めたカルト組織の定義から見ると、実に中国共産党こそが国内最大なカルト組織だと見て取れる。これは中国5千年「敬天(お天道様を敬う)思想」が凝縮された600年の歴史を持つ天安門に、毛沢東の肖像画を掛けるという個人崇拝の行為も証明している。
中国伝統文化への誘い(八) 明
【大紀元日本1月27日】 なんで「ミン」なの 日本語による漢字の音読みは呉音、漢音、唐音と、それが日本に伝わった時の字音によって、同じ漢字でもずいぶん異なります。 明という字を書いて「ミン」と読み、
清廉な官吏・楊鼎の座右の銘≪十思≫
【大紀元日本12月30日】清廉にして徳を守り、貧に安んじ道を楽しむは、人の美徳だ。中国では歴史上、清廉で徳を守り、貧に安んじ道を楽しむ賢人は、数多く見られ、明代の楊鼎がその一例である。 楊鼎は、明朝
【風雲人物伝】台湾の武勇「鄭成功」
【大紀元日本7月28日】鄭成功(1624-1662年)は、元の名を鄭森という。明の隆武帝は彼を賞賛してやまず、御営中軍都督に封じ、国姓の「朱」姓を賜った。しかし彼は恐れ多いと、名だけは成功と改め、後