人に親切にすれば、その相手のためになるだけでなく、やがては良い報いとなって自分にもどってくる。自分さえ良ければという利己的な心を捨てれば、意外な収穫があなたを待っているかもしれません。
中国明朝の時代、永豊というところに羅倫という人がいた。羅倫が科挙の受験に上京する途中、付き添ってきた従僕が金の腕輪を拾った。しかし従僕はその事を主人には黙っていた。そのまま羅倫たちは北京へ向かっていたが、出発して5日後、羅倫は旅費が不足していることに気づいた。
羅倫が困っていると、従僕は「数日前、私は金の腕輪を拾いました。質に入れれば旅費の足しになるのではありませんか」と言った。「お前は何ということを言うのか、そのようなことは許されるはずがないではないか」。羅倫はこれを聞いて憤慨し、自ら金の腕輪を返すことに決めた。主人の怒り様に驚いた従僕は「引き返せば試験に間に合わないかもしれません」と言った。
羅倫は「この金の腕輪は下女か従僕が落としたものに違いない。万一、彼らの主人の追及や拷問で下人が死ねば、誰が責任を負うのか? 試験を受けられなくても、金の腕輪は戻さなければならない!」と答えた。結局、羅倫たちは山東に戻り、金の腕輪を失った家を尋ねた。その家は金の腕輪がなくなったことで大騒ぎとなっていた。
その家の女主人は下女が金の腕輪を盗んだと思い込み、血が出るほどひどく下女を鞭打った。本当はその家の女主人が顔を洗う時に使った水の中に金の腕輪があったのに、下女がその水を金の腕輪と一緒に捨ててしまったのだが、腕輪を盗んだ覚えのない下女は何度も自殺を図った。また家の主人も自分の妻がこの金の腕輪を不倫相手に与えたのだと思い込み、厳しく問い詰めた。女主人もまた非常に怒って自殺を図った。
金の腕輪を戻した羅倫は2人の命を救った。科挙を受けに行く道中であるのに金の腕輪を返してくれた羅倫にみんな深く感謝した。そして羅倫が状元(じょうげん)[1]になれるよう祈った。
羅倫たちは急いで北京に向かい、何とか試験に間に合った。羅倫は準備の時間が全くなかったが、なんと合格して、その後の殿試(進士に合格した者が皇帝臨席のもとで受ける最終試験)を受けて状元に及第したという。
[1]科挙制度で最終試験、殿試で第一等の成績を修めた者に与えられる称号。1300年という長い中国の科挙の歴史で500人ほどの者だけがこの称号を得た。
『徳育古監』より
(大道修)
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