心優しいウクライナの少女(TitovStudio / PIXTA)

私の思い出のキエフ「温もりと風格の街」(5)

 

(前稿から続く)

12 あなたを忘れない

私の思い出と、私の手元にある写真のなかの人々の顔には、喜びと安らぎがあふれています。

今は、そのキエフが戦場になりました。

この美しい街で、多数の市民が死ぬなどと誰が思っていたでしょうか。

もとは兄弟といって良いはずのウクライナロシアが悲惨な戦争をするとは、誰が予想できたでしょうか。

私がウクライナを離れてからもう長い時間が経ちますが、懐かしいキエフを振り返り、また現在のウクライナのニュースを目にするにつけ、私の心の中には、激しい嵐が吹き続けています。

私の記憶の多くは、美しい画面に保存されています。

この美しさは私の当初のウクライナに対する印象と一致していますが、ウクライナの現在の姿とは、あまりに深い溝があり、絶望的なほど遠く離れています。しかも、時の流れの中で、誰も過去に戻ることはできません。

 

13 前世からの縁

ウクライナは私の母国ではありません。

ただ私がしばらくの間とどまり、住んだことがあるだけの異郷です。

しかし、今生で出会う全ての人には、前世からの縁があると言います。

彼の地で出会った人々を、私は忘れません。

そのような運命の出会いに対する信頼と知遇は、悲しみで胸がつぶれそうな今の私に、いささかの安寧を与えています。

(了)

(文・白簡/翻訳編集・鳥飼聡)

関連記事
中国四大奇書の一つ『水滸伝』は、 14世紀に施耐庵が著したものです。冒険、疫病、英雄伝、ならず者の世界などの民話の集大成で、宗代に実在した盗賊の一味から題材を得ています。
フア・ムーラン(花木蘭)は、高齢の父親に代わって男装して戦場に挑んだ女性で、人気のある中国伝説のヒロインです。古代中国では、『木蘭詞』として記録されています。
『西遊記』は中国の四代古典の一つです。明代の小説家吳承恩が16世紀に書き上げました。アクション、ユーモア、教訓を合わせた、馴染み深い冒険物語です。舞台は七世紀。釈迦牟尼の弟子の一人が、佛法を見下したという罪で、天国からこの世に堕とされ、自分の罪を償うため、十世代にわたる修業を強いられます。
古代中国の遠方の小さな村に寺院がたたずんでいました。そこの住職は徳が高く、村人に尊敬されていました。
ある人が劉備に諸葛亮を推薦しました。彼が稀代の天才だというのです。そこで劉備は、関羽と張飛を連れて隆中の諸葛亮に会いに行きました。ところが、諸葛亮はあいにく不在で、どこに行ったのか、いつ戻るのか、わかりませんでした。劉備は非常に残念でしたが、しかたなく引き返すことにしました。