【神話伝説】和尚と青龍の雨乞い

中国最大級の観光地である八大処公園(はちたいしょこうえん)は、8つの古い寺院があることからこの名前が付けられました。その創建の歴史は古く、隋末期から唐初期の頃と言われており、特にそのうちの霊光寺には、釈迦牟尼仏の舎利がまつられています。

8つ目の証果寺の一番奥には、秘魔崖(ひまがい)と呼ばれる険しい崖があり、唐の時代、2匹の青を手なずけたという盧師和尚がここで修行していました。
 

盧師和尚と青龍

盧師の元の名は卓錫と言います。彼は年を取ったため、官職を辞して、山に入り、修行することを願っていました。そこで、自ら小舟を作り、水竿(みざお)を使わず、行き先を川の流れに任せました。

この日、小舟は燕京(北京の古称)の郊外に到着しました。目の前に広がる青々とした木々に、清らかに流れる小河、そして、険しい絶壁。秘魔崖と呼ばれるこの深山幽谷を見て、盧師はこの場所を修行の場と決め、早速、崖の下の天然の石室へと向かいます。

しかし、この場所には先着の主人がいたのです。崖の下の青龙潭では2匹の青龍が修行していました。

実は大昔、この2匹の青龍は黄河に身を潜め、時々妖気を吐いて民を害していました。禹(夏王朝の初代君主)が洪水を治める時、このことを知り、青龍の根城を一掃し、負けた青龍はこの秘魔崖に逃れたのです。

突然やってきて、石室を占領して修行しようとする盧師に激怒した2匹の青龍は、盧師を追い出そうとします。

ある晩、秘魔崖上空の空が突然厚い雲に覆われ、暴風が吹き荒れ、滝のような雨が降り始めました。石室内で眠っていた盧師は嵐の音に起こされ、外に出て空を見上げると、なんと2匹の青龍が雲の中で暴れているのです。

盧師は慌てることなく、銅製の器を手に取り、神通力を発揮して、雨水を器の中に取り込み、そして、器を青龍に向けて放り投げます。強烈な雷鳴とともに、器が破裂し、次の瞬間、麻痺した2匹の青龍は青龙潭へと落下しました。

それから何日か後、「大青」「小青」と名乗る2人の子どもが、弟子入りしたいと盧師を尋ねてきました。盧師は何も聞かず、2人を引き受けました。それ以来、大青と小青は毎日、掃除やまき割り、食事の用意などをやり、それ以外の時間は崖の下の青龙潭で水遊びしました。一方、盧師はひたすらお経を読み、修行に専念しました。
 

青龍の雨乞い

時間は流れ、ある年、北の方でひどい干ばつが起こり、土地がひび割れし、農作物も育てられない状況が長く続きました。皇帝が道士を招いて雨乞いを行うと聞きつけた大青と小青は、このことを盧師に伝えると、勅命の御触書を剥がしました(剥がした者は実際に成功させなければ、後でひどく罰せられる)。そして、青龙潭に飛び込み、青龍の姿で再び空へと舞い上がったのです。

実は、大青と小青はあの2匹の青龍で、悪事をやめ、盧師のもとで修行しながら道徳にかなうものに従い、今回は、干ばつで苦しむ民のために雨を降らせたのです。

このことで一挙に有名になった盧師は皇帝から「感應禅師」の名を授かり、修行している秘魔崖のある山も与えられて「盧師山」と名づけられました。さらに盧師和尚と2人の子ども(2匹の青龍)の像が立てられ、今も人々の参拝を受けています。

(翻訳編集 天野秀)

路聖石