韓信――兵仙(1)高い志を持つ【千古英雄伝】

「不滅の軍神」として知られる韓信は、楚漢の覇権争いにおいて間違いなく最も有名な主人公でした。 5年で、彼は漢王朝が世界を征服するのを助け、秦王朝末期の英雄間の紛争の混沌とした状況を終わらせました。英雄は乱世から生まれると言われていますが、韓信の登場は偶然ではなく、10代の頃から常人とは違う言動、野心を示していました。

韓信の最古の記事の記録は、当然のことながら最も近い年代では『史記』です。著者の司馬遷は、この偉大な英雄をよりよく理解するために、故郷の淮陰(わいいん)県に個人で行き、彼についての話を人々に尋ねています。

『史記』によると、韓信が平民だった頃、彼は公務員として選出されることもなく、自分を養うための商売をすることもできずにいたといいます。彼の家はとても貧しく、他人の家に行って物乞いをし食事をしていました。そのこともあり、近所の人たちにとても迷惑がられ、彼の評判は良くありませんでした。部外者の目からは、怠惰な韓信が、どうして軍事的天才とみられるようになったのだろうかと疑問に思います。 

次の記事の詳細から明らかになったのは、韓信は貧乏でしたが、彼はいつも剣を持ち歩いていました。彼は戦場でも兵法を知り尽くしており自由に発言することができていたといいます。その年代、剣刀は貴族の身分の象徴でもあり、竹札や絹が本として使われていた時代、教育や読書は貴族だけの貴重な資源でした。そうであれば、韓信は貧困に陥った貴族の息子であり、軍の本を読む機会があったと推測できます。韓信の知性と能力を持っていであれば、当然彼は仕事につき、十分な食料と衣服を手に入れることができたはずです。

その答えは、彼の軍事的才能にありました。古代の貴族は厳格な教育を受け、世の中の問題をより深く理解していました。若き韓信は、秦王朝末期の混乱を目の当たりにし、国と人々に対する使命感から、世間に平和をもたらすべしと思い立ち、彼に野心が生まれたのです。兵法・戦争の術を学び、世の中を判断するには、時間と労力が必要です。韓信は、自身の飲み食いを考えるよりも、世の中の大切なこと、国の将来を考えていたのかもしれません。

韓信肖像絵(パブリックドメイン)

他の物語も、韓信の生い立ちと決意を側面から明らかにしています。彼はもともと南昌の亭長宅で数カ月朝食を食べていました。ところが、亭長の妻はそのことがあまり喜ばしくはなかったため、いつも早起きして、韓信が来る前に朝食を終えるよう、意図的に前もって調理していました。その結果、韓信は朝食の時間に来ても何も食べられませんでした。もちろん、賢い韓信は何が起こっているのか理解していたので、静かにこの家を立ち去り、二度と彼らの家を訪れることはありませんでした。

食べる場所がなかったので、韓信は街の外に釣りをしに行くことにしました。たまたま川辺で洗濯をしているお婆さんがいて、韓信の空腹な顔を見て自分の食べ物を分け与えてくれました。それは、お婆さんがすべての洗濯を終えて立ち去るまでの10日続きました。韓信は彼女にとても感謝し、「将来、私はあなたにたくさんの恩返しをします」と約束しました。 すると、お婆さんは怒って、「私は、男なのに自分自身を養えないあなたを気の毒に思ったから、食べ物を分けたのです。決して恩返しを期待したのではありません」と言いました。このときお婆さんは、彼が大きな野望があって、将来自分が成功することを確信していたことを知りませんでした。

人々の無知は徐々にいじめに変わり、韓信もまた大きな試練に直面したのです。ある日、若い肉屋が彼を市場で呼び止め、「お前は背が高くて剣を持っているようだが、実は心は臆病者だ」と言い、公の場で韓信に屈辱を与えました。「私を剣で刺して死なせるか、それとも私の股の下をくぐり抜けるか」と聞きます。韓信はしばらく彼の眼を見つめながら、最終的にみんなの前で彼の股の下をくぐり抜けました。現場にいた全員が韓信の臆病さを笑いました。

韓信の「忍の心」は、漢一族を四百年の間、完全なものにし、天下を築くことができた。(大紀元)

韓信は本当に臆病だったのでしょうか?素晴らしい軍事功績を確立し、王の称号を授与された後、韓信は故郷に戻り、肉屋を見つけて公職の地位を与えたのです。彼は村人たちに「当時、俺は彼を殺すことができたかもしれない。しかし、殺す正当な理由がなかったので、耐え忍ぶことが出来て、やっと今日の成果を上げることができた」と語りました。「忍の心」というのは、韓信の最も素晴らしいところです。「忍の心」のおかげで、物質的な富の追求を手放すことができ、他人の虐待や侮辱を無視することができ、自分の志に固執することができたのです。結局、韓信だけが歴史の流れを把握し、漢王朝の400年の基礎を築いて将軍になりました。

地元の人々はまた司馬遷に、貧しかった韓信は早くから他人と違って、大きい志を抱いていたと語りました。母親が亡くなったとき、彼は貧しすぎて葬式をすることもできなかったが、逆に彼は母親のために広大な墓地を選びました。その土地は、一万世帯の町になるほどの広さでした。韓信は王や侯爵としての自分の将来を予見していたので、事前に準備をしていたのかもしれません。

あることに集中することによってこそ継続的な進歩を遂げることができ、持続することによってこそ最終的に成功することができます。人々が理解できないとき、人生が落ち着かないとき、韓信は依然として自分のすることを堅持し続けます。常人が耐えられないことを耐えることこそ、常人の手には届かない大きな成果を得ることができます。人生のどん底で、彼は理想にどんどん近づいていたのです。

(つづく)
 

 

柳笛