古代中国では身を修めることが重んじられ、子どもへの教育は、人格を磨き、訓練することが重要視されていました。それに関連する逸話や物語はたくさん伝えられており、現代人にとって学ぶ価値の高い内容のものも残っています。その中で、心に残る逸話をここに紹介します。
暗闇の中の天使
天気予報で間もなく台風が上陸すると伝えられると、小さな港町に住む人々は急にあわただしくなります。忙しくしている母親のそばで、小さな娘が一人遊びをしていました。
「まったく、台風はいやね・・・」と母親は片づけながら、ため息をつきます。
「私は、台風が好きよ」と娘は小さな口を開きます。
「どうして台風が好きなの?」
「前に、台風が来たら停電になったでしょう。その時、私がロウソクを持ってお家の中をあちこち歩いている姿が天使のようだとお母さんが言ってくれたから」と娘は無邪気に答えます。
その話を聞いた母親は思わず手もとの仕事を止め、小さい娘を抱きあげて頬にキスをしました。そして、「あなたはいつまでも私の天使よ」と優しく微笑んだのです。
花が咲いたテーブル:
道楽者に改心のチャンスを与えよう
昔、ある寺の住職が、年の若い和尚を特別にかわいがっていました。住職は今まで習得したものを全部この和尚に伝授し、将来、立派な仏教徒にさせるつもりでした。しかし、若い和尚はある日俗念が生じ、こっそりと山を下りてしまいます。きらびやかな都会生活に魅了された和尚はその後、色町にも出入りし、気ままに遊び暮らすようになります。
20年が経ち、ある月の非常に明るい晩のことです。堕落した生活に明け暮れた和尚は、手のひらを明るく照らす月の光を眺めて、ふと後悔の念が生じました。彼は、すぐに着替えて寺院へ急ぎ、住職の許しを請います。しかし、住職は彼の放蕩ぶりを嫌悪し、受け入れようとしません。「あなたの罪は深く、きっと地獄に落ちるでしょう。供え物を置くテーブルに花が咲かなければ、仏様のお許しはないでしょう」と和尚に冷たく言い放ちます。和尚は落胆して寺院を去りました。
翌日、住職が仏堂に入ると驚くべき光景がありました。テーブルの上に、花がたくさん咲いていたのです。すぐに悟った住職は急いで山を下り、弟子を探します。しかし、時はすでに遅く、意気消沈してやる気を失った和尚は、再び放蕩の生活に戻っていました。仏堂のテーブルに咲いた花は、わずか一日で終わりを告げたのです。その夜、住職は遺言を残し円寂しました。遺言には、「この世には、誤った道から戻れないことはなく、誤りを正せないこともない」と記されていました。
本当に改めたいと思う善なる一念は、まるでテーブル一面に咲いた花のようであり、奇跡といえます。しかし、その奇跡をいとも簡単に消してしまうのは、過ちを犯したことではなく、信じてあげられず、許しを与えないという冷たい心なのです。
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