スフィンクスの謎【未解決ミステリー】

スフィンクスの歴史――いまだに解明されていない!

エジプトには、大きさも質もバラバラなピラミッドがたくさんあるのに、スフィンクスはたった1体しかありません。ギザの大スフィンクスは、長さ約74m、高さ20m、幅は19mと、一枚岩から彫り出されています。

周囲の3大ピラミッドと同様、スフィンクスも誰が、いつ、何のために造ったのか、いまだ解明されていません。カフラーのピラミッドのすぐ隣にあり、同じような様式であることから、当初、同時代のものと思われましたが、カフラーが居た古王国時代の文献の中で、スフィンクスの記録は見つかりませんでした。

その後、新王国時代(紀元前1570年頃-から紀元前1070年頃)になると、この像は忽然と姿を現しました。これはいったい、どういうことなのでしょうか。

紀元前1400年頃、スフィンクスの全身は黄砂に埋もれ、頭部だけが露出していました。ある日、エジプトの若き王子トトメスは、像の日陰で休んでいました。夢の中で、スフィンクスは厳粛な神のような容姿で、

「我が息子トトメスよ、我は汝の父、ハルマキス・ケプリ・レ・アトゥム(大スフィンクスの別名)である。我が領地の主権、生命に対するこの上ない権力を汝に与える。我は今、砂漠の砂の中に埋もれている。だから、我を助けてほしい」

そして王子は、部下らに命じて、砂の中からスフィンクスを掘り出しました。翌年、スフィンクスの加護のお陰かはわかりませんが、トトメスは歴史上のファラオ、トトメス4世となりました。そして、この出来事を記録し、「王の神権」を世に知らせるために石碑を建立しました。この石碑こそ、古代エジプトで最も重要な遺物の一つである「夢の碑文」です。

ギザの大スフィンクス前の「夢の碑文」(パブリックドメイン)

一部の学者は、この像が建てられた年代は、今期のエジプト文明よりも前、1万年前の大洪水よりも前の、つまり私たちのこの文明よりも前に存在していた先史文明だと考えています。というのも、この像には、長期間にわたって水によって浸食された明らかな痕跡があったからです。

ウクライナ人科学者、ヴャチェスラフ・マニチェフとパオメンコ(アレクサンダー・G・パークホーメンコ)が発表した論文によると、ギザ台地の地理的進化に基づけば、かつて80万年前にナイル川はスフィンクスの首まで届く高さに氾濫した証拠があるとのことです。

加えて、スフィンクスの近くにあるカフラーとクフのピラミッドも、同じ巨石から造られたというのが一般的な認識です。では、ピラミッドも80万年前、あるいはそれ以前までさかのぼることができるのでしょうか?

アメンティホール――地下に存在する資料館?

しかし、いつ作られたのかという年齢のにも増して、スフィンクスにはさらに重要な謎があります。それは、「何のために造られたのか」ということです。

十数年前に、予言の的確さで有名になった少年ポリスカは、前世が火星人であった記憶を持ち、さらには古代エジプトに行ったことがあると述べています。そんな彼によると、像の耳あたりには仕掛けが隠され、起動すればスフィンクスの封印が解け、人類は劇的に変化すると言うのです。

ある好事家が試しに探しに行き、なんと本当にスフィンクスの耳の近くに、仕掛け入口のような穴を発見しました。しかし、その穴は残念なことに石で塞がれていました。

ギザの大スフィンクス、耳の下に入口のような穴がある(パブリックドメイン)

そして、スフィンクスの中には、火星・地球・人類の全歴史、太陽系の生命と恒星シリウスとの関係、宇宙における恒星間航行の技術的秘密、さらには宇宙の形成など多くの謎に対する究極の答えが隠されているというのです。

偶然にも、「アメリカの預言者」として知られるエドガー・ケイシーも、スフィンクスの秘密について言及しており、それは驚くほどボリスカの発言と一致しています。彼は、

「自分はエジプトの司祭として転生しており、スフィンクスとナイル川の間にアトランティスが残した知恵の書を保存する記録保管ホールがあることを知っていた」

と述べ、この情報は後世に啓蒙されるべきであると語りました。入り口はスフィンクスの右前足にあり、右足の下の空の部屋からホールに通じているといいます。

このホールは「アメンティホール」と呼ばれ、中世の錬金術師たちに秘宝とされた『エメラルド・タブレット』にも記されています。

『エメラルド・タブレット』の起源はエジプトですが、著者にはそれを検証する術がなく、エジプトの伝説に登場する三位一体「ヘルメス・トリスメギストス」の名前を借りて書かれたものです。全部で15章からなり、第2章のタイトルは「アメンティホール」です。

1980年代、米国と英国の科学者は、地震探査結果を使用して、スフィンクスの下に大規模な地下施設があることを示しましたが、エジプト政府と文化財局はこの「禁止区域」に誰も近づくことを許可しませんでした。

この禁止令が余計に人々の関心を集めたため、エジプト政府は、1999年3月3日、考古学者らに米国フォックス・メディア・コーポレーションのカメラの前で、エジプト第4代国王とその近くにいた女王のピラミッドの発掘を開始することを許可しました。古墳、あるいは謎の墓がアメンティホールと思われる地域にあることから、この撮影は広く注目を集めましたが、しかし、この考古学活動で発見された内容は、再びエジプト政府によって公開禁止とされたのでした。

スフィンクスの謎は、白昼の光の中で明らかにされる前に、人類が次のステージの活動を開始したことが明らかになるまで待たなければならないようです。

詳しくはEPOCHTVをご覧ください。

https://www.epochtimes.jp/2023/06/157160.html

 

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