端午の節句に風に揺れる五色の鯉のぼりは、日本の風物詩の一つですが、その起源は古代中国の神話「鯉が龍門を飛ぶ(鯉の滝登り)」に由来します。この節句はもともと男の子の成長を祝う日とした伝統行事です。
五行思想の影響を受けた端午の節句
端午の節句は、現在では5月5日に祝われています。古くは奈良時代や平安時代に中国から日本に伝わり、その後も日本の文化として受け継がれてきました。
その起源には、道教における陰陽五行の思想が流れています。特に、陰陽五行の思想が、五色の鯉のぼりを通じて色鮮やかに反映されています。
端午の節句は、江戸時代に男の子の健やかな成長を願う祭りへと進化しました。これには、儒教の影響も大きく、男子が社会で成功することを願う文化的特性が色濃く反映されています。
端午の節句と陰陽五行の思想について知ることは、日本だけでなく東アジア文化全体の理解を深める手がかりともなります。五色の鯉のぼりがただの飾りではなく、古代の知恵が現在まで伝わっていることを知れば、この季節の行事が一層豊かなものに感じられるでしょう。
なぜ「節句」と呼ぶのか
「節」という言葉は元々、季節の変わり目にあたる「節気」を意味しています。「気」とは「エネルギー」を指します。このため、「節」は季節のエネルギーが変わる瞬間、つまり季節が変わるときを示しています。この日はまた気候が不安定になりがちで、体調を崩しやすい時期でもあります。
そうした時期に、古代の人々は神々に食べ物を捧げ、健康と安全を祈る行事を行いました。これが「節日」であり、特定の食べ物を神々に供えることから、「節供(せちく)」と呼ばれるようになりました。そして、「供」と「句」と同音であるため、やがて「節句」という言葉で書かれるようになったのです。
「端午の節句」と「菖蒲の節句」
「端午の節句」は、「菖蒲の節句」とも呼ばれます。これは、菖蒲の葉が剣のような形状をしており、邪気を払うと信じられているからです。中国では古くから5月を不吉な月とされ、特に5月5日は悪いことが起こりやすいとされてきました。そこで、菖蒲とヨモギの香りが湿気を除き、虫を防ぐと共に、体内から有害な物質を排除する効果があるとされ、節日にはこれらの草で湯を沸かして邪気を祓う「菖蒲湯」で身を清める習慣がありました。
奈良、平安時代にこの習慣が伝わり、貴族は菖蒲を飾って邪気を避けたり、贈り物として交換しました。そして鎌倉時代には、社会が武士社会へと移行する中で、「菖蒲」が剣に似ていることから、「勝負」や「尚武」という言葉と音が同じであるため、重要性が増しました。このようにして「菖蒲の節句」は武家の間でより親しみやすく普及し、菖蒲の葉を刀の形に飾ることが好まれるようになりました。
鯉のぼりは江戸時代から
江戸時代になると、端午の節句のお祝いに男の子の誕生を知らせるために「のぼり旗」を立てる風習が始まりました。また、家の中には子どもを守る「鎧兜」を飾る習慣も生まれ、男の子の健康と将来の成功を願う行事が行われるようになりました。
時が経つにつれて、この伝統は広く一般に受け入れられ、「鯉のぼり」を飾ることが、子どもたちの健やかな成長と成功を願う象徴として定着しました。
今日では、端午の節句には男の子のために五月人形や凧が用意されます。五月人形には子どもを守る力が宿っているとされ、凧には彼らの成長や社会での成功を願う意味が込められています。
こうした節句の風習は、今も多くの家庭で大切にされ、子どもたちの健康と将来への願いを表す日本の美しい伝統として続いています。
「鯉が龍門を飛ぶ(鯉の滝登り)」伝説
子供たちの成功を願って鯉のぼりを飾る風習は、中国古代の「鯉が龍門を飛ぶ(鯉の滝登り)」という伝説に根ざしています。
この話は黄河に住む鯉が、黄河の渓谷である龍門を越えると龍になれるというものです。この物語は、科挙に合格したり昇進するなどの人生の成功や、困難を乗り越え、努力を重ねる意志の強さを表しています。
黄河の水は濁りが強く、ほとんどの魚は生存できませんが、汚れに強い鯉だけがここで生育します。この環境で育つ鯉は、その鱗が黄色い泥水によって金色に輝いて見えると言われています。春になると、これらの金色の鯉が逆流を泳ぎ、龍門で跳ねる様子が観察されます。
ただし、この滝の流れは非常に強く、魚が登るのはほぼ不可能です。伝説では、一匹の金色の鯉がこの難関を越えて龍に変身し、天へ昇ったとされています。これは、どんな困難にも立ち向かい続ける姿勢を示しています。もともとは、仙人になることの難しさと修行の必要性を教えるための物語でした。
この伝説は日本にも伝わり、こどもの日には子供たちの健やかな成長と、人生の障害を乗り越えて成功を収めることを願い、五色の鯉のぼりを飾るようになりました。
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