中国、清の時代の名作「囲炉夜話」に「百善孝為先」(百の善行の中で、親孝行が最優先である)という言葉があります。親孝行は中国伝統文化のコア・バリュー(中核となる価値観)であり、中国社会の倫理を構築する最も重要な要素でもあります。古今を問わず、親孝行は人間性を評価する道徳基準です。もちろん、不孝な人は神様から天罰を受けるでしょう。天罰の(小話)を二つご紹介しましょう。
清の時代、中国江西省新建県に顧さんという女性がいました。夫の洪さんは車夫(馬の世話)を勤めていて、親孝行で評判の良い人です。その母親は年を取り、目も見えなくなりました。洪さんは報酬を得たら、必ず、お酒や肉を買って帰って、妻に母親へ御馳走を作らせました。
しかし、妻の顧さんはいい嫁ではない上、食いしん坊でもありました。夫が留守をすると、義母を虐待します。買ってきた食材をほとんど独り占めし、義母に食べさせるのはほんの少しだけです。母親は心配をかけないよう、息子に何も言わず一人で悲しんでいました。
その後、顧さんは男の子を出産したことをきっかけに、食欲旺盛になりました。ある日、夫の洪さんは市場から生麺を買ってきて、母親に食べさせるように妻に頼み、働きに出かけました。しかし、顧さんは一人で麺を全部食べてしまい、代わりにミミズをゆでて、目の見えない義母に食べさせました。ミミズを食べた母親はおう吐が止まりませんでした。すると突然、暴風雨がやってきて、落雷と共に顧さんの姿が消えました。
雨が上がった後、夫の洪さんは帰宅途中に石の山を通りかかりました。そこで裸の女性を見かけました。よく見ると、その人は自分の妻でした。体の腰より下は石の中に埋まっていて、周りは鋳造されたかのように堅い石で固められ、引っ張ってもまったく動じません。理由を聞いても口から何も発しません。しかし、死んではいません。両目をぐるぐると回しながら人を見ていますが、頭は働かない様子でした。そばの石には雷によって文字が刻まれていて、それにはこう書かれていました。「孤児を守るため半身だけ埋めた、授乳のため上半身を残す。一日一食で命を伸ばしても、三年後雷に打たれ死ぬ」
洪さんは雷神の指示通りに、毎日石山へ行って、妻に一食を与え、同時に赤ちゃんの授乳もさせました。野次馬がたくさん周りを囲みましたが、近づこうとすると、知らない力に引っ張られ転んでしまうという摩訶不思議な現象が起きました。三年経つと、顧さんは再び雷に打たれ、石の隙間から放り出されそのまま亡くなりました。遺体は全身焼け焦げ、やがてミミズが発生し、遺体を食料にしました。石の隙間はいつの間にか閉じました。
作者は「親不孝の罪は天界に許されず、雷神の天罰を受けるのは当然の報いだ」と評しました。しかし、赤ちゃんのために、すぐに命を取らなかったことは、親孝行の洪さんへの雷神による慈悲とも伺えます。
もう一つの(小話)ですが、浙江省蘭渓県に李さんという女性がいて、裕福な生活を送っていました。40歳の誕生日に隣人や友人が集まり、豪華なプレゼントを贈りました。すると、白髪まみれでボロボロの服を着た彼女の母親が現れました。片手で杖をつき、よろよろの体を支えていましたが、もう片方には川海老が入った籠を持っていました。
母親は「あなたのお父さんは不幸で早く亡くなり、私はあなたと離れて一人で貧しく暮らしていますので、危うくあなたの40歳の誕生日を忘れるところでした。贈り物は買えませんが、この籠に入った海老は今朝、村の川で捕らえたものです。料理に使ってください」と言いました。
李さんは母親に向かって「この死に損ないめ、父が死んでも、なんでお前は乞食をしてこの世に残っているんだ、お前のせいで、面目丸つぶれだ」と激怒しました。さらに、籠を奪って地面に投げつけました。中にいた海老は飛び跳ねて散らかりましたが、母親は黙って頭を下げました。だだ、泣き続けるしかありませんでした。
そこにいた来客は、彼女を慰めた者もいれば、嘆いた者、黙って立ち去った者もいました。誕生日の宴を中断せざるを得ない状況を見て、李さんの怒りはますますエスカレートし、母親への罵声は絶えませんでした。
その時、雲ひとつなかった空に、遠くから微かな雷鳴が聞こえ始め、瞬く間に黒い雨雲が集まりました。李さんへの呪いは大雨となって降り注ぎ、雷がゴロゴロと鳴り響きました。その瞬間、李さんは突然跪き豪華な服を着たまま、激しい雨の中で倒れて亡くなりました。
この(小話)は清時代の名作『夢史雑著』の作者、兪蛟撰が記録した、友人の何鉄蘭の実体験によるものです。
(翻訳編集 正道勇)
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