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英作家 ジェーン・オースティンの創造性を支えた5つの日課

作家や芸術家の中には、静寂と孤独に恵まれた環境で芸術的な発想を育むことができた人もいますが、オースティンはそうではありませんでした。彼女は常に人の出入りのある家庭で暮らし、長時間途切れることのない執筆の時間を確保するのに苦労していました。チャールズ・ディケンズやルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンのように、厳格な日課を組んで規則正しく作業を進められた芸術家とは違い、オースティンの日々は予測不可能でした。それでも彼女は最高品質の文学作品を創作し続けました。芸術的成果という花は、過酷な環境でも咲くことを証明したのです。作家は何としてでも書く方法を見つけます。心の中で燃える思いを表現しなければ、その思いで胸は張り裂けそうになってしまいます。

オースティンは母や姉が起きる前に起き、ピアノ(当時はピアノフォルテと呼ばれていました)を弾いたり、家事を済ませたり、手紙を書いたり、散歩したりして一日をスタートさせます。主な家庭での役割は、午前9時頃に家族の朝食を用意することでした。その後、彼女は居間の窓際に座り、母や姉が裁縫をしているそばで執筆に取り組みました。父の存命中に贈られたとても小さな机があり、それにはインクや筆記具を収められる収納がついていました。

オースティンは窓辺の小さな机に座り、家庭のざわめきの中で執筆していました。(Biba Kayewich)

ある記録によれば、来客があると彼女はすぐに原稿を隠したといいます。訪問者は頻繁に訪れていました。Mason Currey(メイソン・カリー)の著書『Daily Rituals: How Artists Work(日課:芸術家たちはどう働くか)』には、オースティンの甥の回想が引用されています。「彼女はあらゆる偶然の中断にさらされていました。使用人や訪問者、家族以外の人々に自分が執筆していることを知られないよう細心の注意を払っていました。」

「彼女は小さな紙片に書いており、それは簡単に片付けたり、吸い取り紙で覆ったりできました。玄関と台所の間には開けるときにきしむドアがありましたが、彼女はこの不便さを直すことを嫌がりました。なぜなら、それが誰かが来る合図になったからです」。

オースティンは執筆活動を隠す姿勢を出版社にまで徹底しました。彼女の小説はすべて匿名で出版され、生前は「ある女性(a Lady)」としか記されませんでした。彼女の名前と作品が結びつけられるようになったのは死後のことです。

なぜそこまで秘密にしたのでしょうか。確かなことは分かりませんが、いくつか理由が考えられます。第一に、オースティンは自分のプライバシーを大事に思っていた可能性があります。第二に、当時は偽名での出版は珍しくなく、すでに文学的慣習になっていました。特に女性作家の場合、執筆は「淑女らしくない仕事」と見なされることが多かったのです。

大英図書館(British Library)のウェブサイトでGreg Buzwell(グレッグ・バズウェル)はこう書いています。「18世紀後半から19世紀初頭にかけて……女性が小説を書き、それを金を払えば誰でも手にできるという事実は、売春と不適切に結び付けられることがありました。18世紀半ばまでには、『By a Lady(ある女性による)』という表記は題名ページでよく見られるようになりました。」

「これは著者の性別だけでなく、その人物が一定の階級に属し、品位ある女性が読んでも差し支えない本であることを示すものでした」

こうして「ある女性」として、オースティンは小さな机に向かいながら壮大な物語の世界を思い描き、人間性の矛盾を鋭く洞察し表現しました。彼女は羽ペンとインク(タンニンに硫酸鉄・アラビアガム・水を混ぜたもの)を使い、小さな紙片に書きつけました。まず小説の初稿を書き、文や言い回しを消して書き直し、やがて原稿全体を徹底的に改訂しました。彼女は「自由間接話法[1]」という文学手法を試みました。これは彼女が作品の中で広く用いた最も初期の作家のひとりとされています。

オースティンが一日の執筆を終えるのは午後3時か4時頃で、家族の主要な食事の時間でした。彼女の手紙には食べ物のことが頻繁に出てきて、甘いもの好きだったこともうかがえます。食事の後は会話やお茶、ゲームがあり、夜には小説を声に出して読み合いました。その中にはオースティン自身の原稿が含まれることもあり、母や姉から意見をもらうことは執筆過程で重要な役割を果たしていました。

ユーモアあふれるオースティンは、ある手紙にこう書いています。「私は、できる限りの虚栄心をもって、自分をこれまで著者になろうとした女性の中で最も学識がなく、無知な者だと誇れると思います」。しかし私たちはそれに異を唱えるでしょう。

彼女に学問的な不足があったとしても(現代の基準から見れば取るに足らないものでしょうが)、人間観察の力においては卓越していました。人間の愚かさや勇気、傲慢さや英雄的精神をこれほど鋭く描くことができたのは、人間性という学び舎で十分に鍛えられていたからにほかなりません。

[1]自由間接話法:語り手の声と登場人物の声や思考が融合して区別が難しくなる技法

(翻訳編集 井田千景)

英語文学と言語学の修士号を取得。ウィスコンシン州の私立アカデミーで文学を教えており、「The Hemingway Review」「Intellectual Takeout」および自身のサブスタックである「TheHazelnut」に執筆記事を掲載。小説『Hologram』『Song of Spheres』を出版。