【大紀元日本10月2日】「一時我慢すれば、嵐が治まり波が静まる。一歩引き下がれば、世界がぱっと開ける」。問題が起きたとき、みんなが互いに礼を以って謙り合えば、いさかいもなく自ずと穏やかに共存できるようになる。
中国清の張庭玉は安徽省桐城出身の官吏で、平素から身を修め心の修養を重んじ、人々から敬愛を受けていた。張氏は、親孝行を重んじ、宰相であった間も、故郷に残した母親を心配してしばしば会いに帰った。あるとき、母を見舞いに戻った張庭玉は、家が古くなったのに気づいた。そこで、諸々の事を手配した後、使用人に作り直すように命じて都に戻った。
張家では早速、隣の葉家との間にあるスペースを使って廊下を造ろうとした。ところが、葉家のほうもちょうど、そのスペースを使って家を増築しようと考えていた。結局、両家は争うことになってしまった。張家が敷地を掘り返すと、葉家がそれを土で埋めてしまうし、葉家が工事を始めようとすると、張家の人が道具を奪ってしまう。両家は何度も言い争いになり、爆発寸前の状態になった。
張氏の母は怒りが収まらず、息子に手紙を出して、この件を速やかに処理してほしいと頼んだ。ところが、張庭玉は手紙を読み終わると、少しも慌てることなく、短い詩を一首書いて故郷に届けた。「家から手紙が届いたかと思えば、ただ壁のことだけ。三尺くらい譲ってもいいのではありませんか?万里の長城は今なおこの世にありますが、それを造った始皇帝はとっくにいなくなりました。人の命などはかないものです。争って何になるのですか?」。
張氏の母は、息子は必ず自分の味方をして助けてくれるとばかり思っていたのに、まさかこのような手紙が届くとは思ってもみなかった。ただ、その手紙を読んだ母は、「わずか三尺の土地のために両家の関係を損ない、自分の体まで怒りで悪くしてしまうなんて、本当にばからしい」と一瞬にして悟った。そして、自ら壁を三尺後ろへ下げた。隣の葉家もこれを見て、申し訳ないと感じたのだろう。同じように三尺下げた。
結局、互いに争っていた三尺の土地が六尺に広がり、一本の通りとなったのである。地元の人々はこれを美談として褒め称え、この通りに「六尺巷」という名前を付け、「争ってもどうにも解決できず、通れなかったのに、譲り合ったら、六尺の道になった」と語り継ぐようになった。
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