東京・清澄庭園 巨石と水が織りなす美

【大紀元日本9月29日】約1300年前の中国唐代。詩人であり南画にも秀でていた王維(おうい)が、晩年に得たという広大な庭園・網川荘(もうせんそう)は、あるいはこのような庭園であったのではないかと園内を歩きながら思った。

王維は、自らが求めて整えさせた山水の風景の中をゆるやかに散策しながら、詩作と絵画の構想を練ったのであろう。後に北宋の蘇軾(そしょく)が、王維の詩と絵画を絶賛して「詩中画あり、画中詩あり」と称したように、秀逸な風景は、芸術の創作者にとって欠かせない要素であったに違いない。

東京・江東区にある清澄庭園は、もちろん日本庭園であり、中国趣味のものではないので、以上はあくまでも想像である。ただ、才能があればの話だが、この風景を見ていると漢詩や俳句の一つでもひねってみたくなるのだ。

歴史的に古い庭園というわけではない。江戸時代の享保年間から関宿城主・久世大和守の下屋敷であったこの場所が、荒廃したまま明治維新をむかえた。それを三菱の創業者・岩崎彌太郎が明治11年(1978年)に買い取り、社員の慰安や貴賓を招待する庭園として整備した。その後も岩崎家によって造園工事が重ねられ、明治を代表する回遊式林泉庭園となったのである。現在は都立庭園として、東京都指定名勝にも指定されている。

実は、これほどの名園ならば、今が見頃の彼岸花の群生などに出会えるだろうと期待して訪れたのだが、それはなかった。

季節になれば園内の一部にツツジや花菖蒲も咲くので「花のない庭」といっては言いすぎであろう。ただ、少なくともここは花が主役の庭園ではないようだ。では何が主役かというと、日本各地から集められた巨岩名石の数々なのである。

遠くは紀州和歌山の青石や、伊豆式根島の磯石、佐渡の赤玉石など、一つでも数トンはあろう庭石の数々が園内各所に置かれている。それらの名石が、豊かな水や、それを取り囲む松の緑とあいまって、日本庭園らしい重厚感のある風景をなしている。

交通は都営大江戸線・半蔵門線「清澄白河」駅下車、徒歩3分。冬の雪景色のときに、再び訪れてみたいと今から楽しみにしている。

石と水と松が競演する風景(大紀元)

(牧)