【大紀元日本11月28日】
遠く寒山に上れば、石径(せっけい)斜めなり。白雲生ずる處(ところ)、人家有り。車を停めて、坐(そぞろ)に愛す楓林の晩(くれ)。霜葉は二月の花よりも紅(くれない)なり。
ふと考えた。漢詩における春詩と秋詩ではどちらが多いだろうか。つぶさに数えたわけではないが、大まかな印象としては春を詠った詩のほうが多い気がする。漢民族の好みは、どちらかといえば牡丹が咲き桃や杏の花がほころぶ春のほうにあるように思うからだ。
杜牧(803~852)は、晩唐を代表する詩人の一人である。彼の詩のなかで日本でもよく知られた作品といえば、春詩の「江南の春」と秋詩の「山行」が挙げられるだろう。
詩に云う。遠く遠く、秋の葉が落ちてもの寂しくなった山に上っていくと、石ころの多い小道が斜めに続いている。山のはるか上のほう、白雲が生ずるあたりに、なんと人家が見えた。時は夕暮れ。私は車を停めさせ、楓(かえで)の木々をそぞろに眺めて楽しむ。秋霜に色づいたこの楓は、春の二月に咲く花よりも一層赤いことであったよ。
山行といっても、登山をしているわけではなく、牛馬が引く車に乗って山里の小道をゆるやかに流しているといったイメージであろう。そこに広がるのは、俗世間を離れた高雅な境地である。特に、はるか高い峰の、白雲が生ずるあたりに人家を見るところがいい。
「白雲」は古来より使われた詩語で、隠逸の世界を表す。だとすれば、この人家は村人の住居ではなく、隠者の住む家ということになる。杜牧は、その優雅な住まいを憧れとともに見上げながら、山の燃えるような紅葉を「春二月の花よりも紅い」という斬新な表現で詠い上げた。漢語の「紅」は、ただの赤ではなく、鮮やかな赤を指す。春詩にまさる秋詩の傑作の出現に、当時の人々はさぞ驚いたであろう。
これに対して、わが日本の秋は詩歌にどう歌われているか。本朝の『新古今和歌集』に、藤原定家の一首「見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」がある。
花も紅葉もない海辺の入り江。あまりに殺風景で無色彩なその視野には、ただ浜の者が仮寝する苫屋だけがある。しかし、それでこそ秋の夕暮れにふさわしい究極の興趣ではないか、と定家はいう。これが日本人が伝統的に好む、「枯淡の美」である。
中国人の好みと大きく異なるのは、民族性の違いなので致し方ない。その日本では、おそらく秋歌のほうが好まれ多く作られたのだろうと、こちらも勝手な想像をしている。
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