【大紀元日本6月20日】
送りにし 君がこころを 身につけて 波しずかなる 守りとやせん
(見送ってくれる君の心を身につけて旅路の守りにしたい)(坂の上の雲マニアックスより)
これは、後に大日本帝国海軍中将となる秋山真之(さねゆき)が、東京大学予備門を退学して海軍兵学校に入ることを決意した際、ともに松山から上京してきた正岡子規に別れを告げた手紙である。
真之と子規は小学校以来机を並べて学んだ仲で、明治16年にはともに外の世界への憧れから上京し、東京大学予備門に入学した。
「竹馬の友」であった真之のこの決断を、子規は次のような句で励ましている。
<秋山大人の国に帰るを送る>
海神も 恐るる君が 船路には 灘の波風 しづかなるらん
(海の神も恐れるような君なのだから、これからの君の旅路もきっと波穏やかであろう)(坂の上の雲マニアックスより)
これ以降、真之は軍人として、子規は俳人として、別々の道を歩むことになる。
前置きが長くなったが、「竹馬の友」ということばは、中国の次の故事から生まれたと言われる。
東晋の時代、北伐の司令官として遠征に失敗した殷浩(いんこう)が官位を奪われたとき、桓温(かんおん)が人々に言った。「幼いとき、殷浩と一緒に竹馬に乗ったものだが、私が竹馬を棄て去ると、殷浩がそれを拾って乗ったものだ。もともと彼は、私の下に立つべきなのだ」(世説新語・品藻より)
日本では、冒頭の話にあるように、「竹馬の友」とは仲のいい幼なじみを意味するが、元はこの故事から生まれたとするなら、少し興ざめである。
ただ、李白の「長干行」に、日本の「竹馬の友」を思わせる次のようなくだりがある。
妾髮初覆額 妾が髮初めて額を覆ふとき
折花門前劇 花を折って門前に劇(たはむ)る
郎騎竹馬來 郎は竹馬に騎って來り
遶床弄青梅 床を遶(めぐ)りて青梅を弄す
同居長干里 同じく長干の里に居り
兩小無嫌猜 兩小嫌猜無し
わたしの髪の毛がやっと額にたれさがるおかっぱのころ、花を折って門前でままごと遊びをしていました。あなたは竹馬に乗ってやって来て、ベッドのまわりを鬼ごっこをしながら、青梅を見せびらかしましたね。いっしょに長干の町で育ったし、ふたりとも幼かったので、何のこだわり、疑惑もなく、仲よく遊んだものです。(中国名詩鑑賞辞典より)
中国語に、「竹馬の友」を意味する「青梅竹馬」ということばがあり、この李白の詩から生まれたとされるが、日本語の「竹馬の友」の含意もこの流れを汲むものかもしれない。ただし、「青梅竹馬」のほうは男女の幼なじみに限られるが。
なお、中国でいう「竹馬」は、一本の竹竿に馬に乗るようにまたがって遊ぶ道具で、先端にたてがみに似せたものを付けることもあったようだが、日本の「たけうま」とは大きく異なる。
ところで、冒頭の真之と子規、そして真之の兄・好古(よしふる)の3人を主人公に、日本が近代国家へと歩み始める明治初期を彼らがどのような気概と志を持って生きたかが、司馬遼太郎の『坂の上の雲』に描かれている。一読をお勧めする。
(瀬戸)
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