【東北再興】消えない傷跡(6)復興をめざして

【大紀元日本12月17日】震災時、澤村隆太さんは、仙台市の東北福祉大学で福祉心理学の学士課程を終了するところだった。予期せぬ形で自分の学問の実践を迫られることとなった。仙台市社会福祉協議会はあったが、養成を受けた唯一のボランティアだったため、仙台市の災害ボランティアセンターの事実上の協調人となった。

澤村さんは、宮城県は、他地域からの情報をつかむことができず、状況を把握しボランティアを効果的に配備することができなかったことを指摘する。その結果、仙台より外の地域の痛手の方がひどかったにもかかわらず、ほとんどのボランティアが、すでに人手は充足し組織化されていた仙台市に配備されてしまった。

「再建」とは構造の立て直しだけに止まらない。居住施設は言うまでもなく優先事項のトップであり、人々の不安のもとだ。しかし、「再建」は地域社会の復興も意味する。

「確かに住む場所や食べ物は確保されているが、地域のコミュニティーは破壊されたまま。これを作り直すのは政府だけでできる仕事ではないだろう」 と澤村さんは語る。

仙台市ボランティアセンター(災害ボランティアセンターが今ではこう呼ばれている)は、仮設住宅に住む人々を訪問し、仮住まい生活の人々が出会えるような活動を賄っている。東北の他の地域でも同様の企画が個別に行われている。

澤村さんは、出席しない人にも気を配り、ソーシャルワーカーが訪問するように心がけているという。自殺や孤独死を予防することが一つの目標だ。はっきりした統計はないが、ボランティアセンターの活動が貢献し、1995年の阪神大震災に比べ、仙台での自殺率は低いと澤村さんは語っている。

澤村さんは自分の体験に基づき、日本国内に災害防止センターを常設することを擁護する本を書きたいと考えている。紙面上でなく現実に、確固としたネットワークが存在すれば、災害が再来したときに対応する準備が整っていることとなり、影響も削減できると澤村さんは考える。

忘れられないうちに本をすぐにでも書き上げたいと語る。「仙台ですら忘れ始めた人がたくさんいる」からだ。

 「この災害を教訓にできたら、それがせめてもの幸いだと思う」と、前向きに澤村さんは語ってくれた。

(終)

(記者・シンディ・ドルーキエ現地取材協力・こだま たくや翻訳・鶴田)