【漢詩の楽しみ】六月二十七日望湖楼酔書五絶(六月二十七日、望湖楼に酔うて書す五絶)

【大紀元日本6月26日】

黒雲翻墨未遮山
白雨跳珠乱入船
巻地風来忽吹散
望湖楼下水如天

黒雲、墨を翻して未だ山を遮(さえぎ)らず。白雨、珠を跳(おど)らせ、乱れて船に入る。地を巻き、風来(きた)って忽(たちま)ち吹き散ず。望湖楼下、水天のごとし。

詩に云う。黒い雲が、墨をひっくりかえしたように広がってきたが、まだ山を隠してはいない。すると、にわかに降り出した白い雨粒が、真珠が跳ねるように、ばらばらと船のなかに入り込んできた。そうかと思うと、大地を巻き上げるような風が来て、たちまち雲や雨を吹き払う。そして、この望湖楼から見る西湖は、ふたたび大空の色をたたえて広がっている。

作者は北宋の詩人、蘇軾(そしょく、1036~1101)。その号から蘇東坡(そとうば)と呼ばれることも多い。

蘇軾の官僚としての人生は、地方官の任務がほとんどで、最後は海南島まで追放された。1067年に神宗が即位すると、その政治顧問となった王安石は新法による大胆な政治改革を推進する。これに対し、司馬光をはじめとする反対者が続出したため、都(開封)における中央政界は新法党と旧法党との勢力争いが長く続く。蘇軾が地方勤めという不遇を味わったのも、彼が新法に対し批判的意見を示したことによる。

官僚としては不幸が多かった蘇軾であるが、詩文では北宋第一の才人としての業績をのこし、またその人物も、当時から現代に至るまで幅広い人気をもつ。

その理由を一言ではいえないが、一つには、彼が逆境に遭いながらもどこかに明るさを保ち、自身の不満を詩にぶつけるようなふるまいをしなかったからであろう。

表題の詩は、蘇軾が37歳のころ、中央での政難を避けるため、自ら地方官を望んで杭州の通判(副知事)になっていたときの一首である。

そこに描写されているのは、絶景として古来より名高い西湖の大自然のみ。他を一切語らぬ潔さが、すばらしい。

(聡)