政治家にしてはいけないのはどんなタイプの人間? 千年前の中国の歴史家の洞察が深い

人類の文明が始まってから国家が生まれ、政治が生まれた。そして数え切れない程の政治家、官僚が現れ、歴史の中で様々なドラマを繰り広げてきた。

その中には、後世にも残る偉業を達成した者もいれば、悪名を残した者もいる。

今からおよそ千年前、中国が北宋(960~1127) と呼ばれていた時代、司馬光(しば こう)という政治家がいた。司馬光は儒学、歴史にも秀で、歴史書『資治通鑑(しじつがん)』の編者として著名だ。

そんな司馬光は人間を以下の4つのタイプに分類した。

一、万事怠りなく機敏で徳と才能に恵まれた者

二、愚かで才能もない者

三、高貴で徳は高いが才能はない者

四、卑しい性格で徳もないが才能には恵まれた者

そして司馬光が官僚を選ぶ時、まず選ぶのは「万事怠りなく機敏な者」から選び、2番目に選ぶのは、「高貴だが徳は高いが才能がない者」のグループで、もしその両方から最適な人物が見つからなければ、「卑しい性格で徳もないが才能には恵まれた者」のグループから選ぶより、「愚かで才能もない者」のグループから選ぶと言ったという。

司馬光は才能があって徳を欠く者は、才能がない者より危険だとしている。

才能があり、徳の高い者はよい行いを通して偉業を成し遂げる。しかし才能があって徳を欠く者は、たとえ目的が達せられても、その過程で必ずしも正しい行いをするとは限らず、往々にして残酷な手段を使う。そのような人間は政治家や官僚にしてはならない。

司馬光は人選の任についた者は、慎重にならなければならず、才能ある者に惑わされず、徳があるかどうかも見極めなければならないと言った。

愛妾の妲己(だっき)に溺れ、享楽にふけり、殷を滅ぼした紂王(ちゅうおう)。丞相の李斯(りし)と結託し、その遺言を書き換えて太子の扶蘇を自決に追い詰め、末子の胡亥(こがい)を即位させ、ついには秦を滅ぼした宦官の趙高(ちょうこう)。そのように徳を欠き、国家を滅ぼした王や官僚の話が、中国の歴史には数多く残っている。

これらの歴史の教訓から、司馬光は才能より徳の必要性を強調した。特に、国の高官や皇帝には、徳の高い人物が選ばれるべきだと説いている。

さて、時を隔てた現代の日本でも、総選挙後の組閣や内閣改造の際には首相がそれぞれの国務大臣を任命する。しかし、はたしてその人物の「徳」をどれほど見極めて、本当に適切な人選が行われているのだろうか。