中国文化の崩壊

心のない愛 子を見ない親 簡体字が映すもの

古来の漢字には文化的な要素がある。自然の法則や道徳、天・地・人の関係、社会の構築、家庭の構造、生命の原理など様々な意味が含まれている。しかし、簡体字には、これらの文化的な要素がほぼなくなってしまった。

 中国共産党は、1950年代の後半に3回にわたって大幅に漢字を簡体字に変換した。そのため、60年代以後に生まれた人たちは、古代の書物を読むことができなくなり、中国の伝統文化に断裂が生じた。数千年の文化が失われ、その代わりに共産文化が広く普及した。

 古来の漢字は一字一字が一つの生命体であり、それぞれに社会的、文化的な背景がある。漢字の世界に入れば、まるで歴史博物館に入ったように無限の知識や学問が目の前に広がる。しかし、簡体字はただ一つの符号のようなもので、その奥深い文化の要素は失っている。

 漢字の簡体化とともに、伝統文化は廃れ、道徳が衰退し、社会は乱れてしまった。皮肉なことに、現在、中国の世相はまさに簡体字の通りである。

 例えば、親は「亲」に変わり、「見」が無くなった。現在の社会では、親の面倒を見ない子供が多くなった。
 郷は「乡」に変わり、「郎」を無くした。今の農村では、青年たちは都市部に出稼ぎに行き、老人と子供たちだけが残る。
 愛は「爱」に変わり、「心」を無くした。つまり愛に心がこもらず、うわべのだけの愛となった。
 進は「进」に変わり、「佳」は「井」に変わった。前進するのは良い(佳)という意味が消え、「前进」すれば、「井戸」の中に陥り、自滅してしまう。

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聴は「听」に変わり、心もなければ、耳も無くなった。人の話を聴く耳と心はなく、人に何かを言われたら、「口」と「斧」(斤)で対抗する。
 恥は「耻」に変わり、心が恥を感じず、耳で止まってしまい、結局恥知らずになった。
 買は「买」に変わり、本来お金(貝)を使って買うべきなのに、頭(头)を使って略奪するようになった。庶民の土地や財産は、こうして役人たちの懐に入るようになった。
 優は「优」に変わった。本来優秀な人は常に周りのことを憂う気持ちを持つべきだが、「优」に変わり、常に自分のことを自慢するようになった。
 導は「导」に変わり、本来人を導くはずなのに、道徳が無くなり、道義も無くなった。「巳」(蛇)の身で一「寸」先しか見えないのに、どうやって人を導くのだろうか。
 薬は「药」に変わった。本来、薬草を飲めば楽になるはずだが、「药草」を飲めば、逆に薬に約束(束縛)されるようになった。

 しかし、変わらない漢字もある。例えば、魔はやはり「魔」であり、鬼はやはり「鬼」、騙はやはり「騙」、貪はやはり「貪」、毒はやはり「毒」、淫はやはり「淫」、賭はやはり「賭」である。良いものは失われたが、悪いものは依然として残っている。簡体字はまさに中国の世相を表しており、伝統文化の喪失に大きな役割を果たしたといえる。

 (翻訳編集・松山)
※2014年10月9日の記事を再掲載しました