現在は科学と医術が発達し、療養保険の条件が恵まれており、運動方法が多種多様になりましたが、多くの疾病の前では相変わらずどうしようもなく、多くの人が依然として病魔に取り付かれたまま痛ましい生活を送っています。特に多くの人が貧しい暮らしのために治療を受けられず、ただ死を待つことだけしかできません。また「命は各人が授かったもので、現実社会では、常人も長命で百歳までも生きるもので、九死に一生を得ることもある」と言われ、有名な山や川の辺りでは、修煉者も数百歳、さらには数千歳まで生きています。これは確かなことです。しかし、なにしろ、これは数少ない稀な例で、どれほどのものでもありません。
法輪大法(法輪功とも呼ばれる)は病気を専門に直す普通の気功ではありません。法輪大法は真の性命双修の功法で、佛家修煉大法です。宇宙の特性「真・善・忍」の法理によって指導する、緩やかな五式の功法で、修煉者の心身を健康にし、道徳を回復させ、知恵を開かせ、人生と宇宙の神秘をはっきり知る自在の境地に達するものです。
1992年から1999年まで、法輪大法は神州の大地の至るところに広まり、「真・善・忍」という法理で1億人の修煉者の身心を浄化し、道徳を昇華させました。1995年3月、師父は招きに応じてフランスで功法を伝授され、法輪大法は海外で流布されました。今、法輪大法はすでに100以上の国と地域に広く伝わっています。
法輪功は健康保持の面において常に奇跡的な効果が顕著です。だいぶ以前の1998年に、中国医学界はこの事において5回の医学調査を行い、その後、北米及び台湾の医療関係者もそれに関わる健康調査を行いました。結果が明らかになり、法輪功による病気治癒率と健康保持の総合有効率は98%に及びました。
明慧ネットなどのメディアの報道の中で、無数の事例による実証例があります。法輪大法は人々にとって病気治療と健康保持に不思議な効果があるだけでなく、常人にとっても不思議で計り知れない出来事を目にしています。それらのことは、国内外の多くの修煉者のグループの中では「どこにでもあることだ」と言えます。
国内外の多くの修煉者の中のスターや有名人は、根深い病気と不治の病を患いました。しかし、有名人たちは様々な縁で法輪大法に際遇( たまたま出会うこと)して修煉した後、九死に一生を得て、健康を取り戻しました。紙数に限りがありますので、ここではこの種の一部の典型的な物語だけを選修しました。
1. オリンピック水泳界のスター・黄曉敏さんが体験した人生の大きな変化
黄曉敏さん(訳注:1988年オリンピック水泳銀メダリスト)は、1974年4月に東北地方の鶴城区の労働者の家庭で生まれました。10歳の時、体育の授業でコーチから選ばれ、水泳を習い始めました。12歳の時、国家の強化合宿チームに選ばれました。その後、黄曉敏さんは毎日水に浸かって7、8時間水泳をしなければならず、1万5000メートルを泳ぎ、さらなる水泳の特訓を受けました。それ以来、年と共に毎日限界を超えた負荷量の機械的な訓練が、黄曉敏さんの生活の全てになりました。
1986年、弱冠17歳の黄曉敏さんはソウルアジア競技大会で、女子100メートル平泳ぎで優勝し、一挙にアジア女子平泳ぎの第一人者になりました。その後、黄曉敏さんはアジア競技大会で2回の金メダルに輝き、ソウルオリンピックで中国チームとして銀メダルを奪取しました。1986年から1990年まで、ワールドカップ水泳競技大会で続けて金メダルを11個獲得し、さらに1987年「アジア優秀スポーツ選手十傑」を獲得しました。中国水泳界の「5人娘」の1人となり「平泳ぎの女王」という美称を受けました。
多くの人に見えたのは、黄曉敏さんの世界の水泳界での特に優れた成績でしたが、輝かしい活動の背後で黄曉敏さんに与えられたものは、絶え間ない特訓によるつらさと苦難でした。黄曉敏さんはメダルを取る前の8年間を、このように過ごしてきたのです。
人生は無常であり、喜怒哀楽により、さまざまな感情が綯い交ぜ(ないまぜ・ 混ぜこぜになる)になることは、誰であっても例外はありません。中国の前国家チームの水泳選手、水泳界のスター、広く注目を集めた「平泳ぎの女王」も、その1人でした。
1994年、長期の強化訓練のために、訓練中に間接と筋肉のケガが常に現れ、筋肉の損傷と関節のずれが起こるようになりました。黄曉敏さんは平泳ぎをすることにより、ひどい椎間板ヘルニアの症状までも引き起こされました。体の過度の疲労のためにすぐ回復することが難しく、心臓にも問題が現れ、時々動悸がするようにもなりました。もしもこの状況下で大きな大会に臨むとなれば、黄曉敏さんは薬によって強制的に治療し、大会に出場しなければなりませんでした。
黄曉敏さんに風疹や不整脈などの症状が現れ、その上、半身不随の危険に直面し、多くの有名な病院に行きましたが、名医も妙薬も黄曉敏さんの傷病には無力でした。風疹の苦しみにより黄曉敏さんは膝から下の反応がなくなり、体の苦痛は言葉に表せないほどで、半身不随の危険に直面していることは明らかでした。仕方がなく黄曉敏さんは23歳という若さで早々と競技場から退出しました。
スポーツ界から引退した後、黄曉敏さんの体は下降し始め、腰痛の病の発作が起こるたびに、半月前後ベッドで横になっていなければならず、横たわっている時間が長くなると、疲れ、体を横にする力もなくなり、両親が頭と足を持って手伝わなければなりませんでした。いつも7、8時に起きた後、8、9時まで首をまっすぎに上げられず、それは全身麻痺の兆候でした。長期の微熱が続き、心臓病と動悸で眠ることができませんでした。朝起きてからはいつも首が動かず、力が入りませんでした。このため母親は泣きながら黄曉敏さんを抱きしめ「この子はまだ20歳過ぎなのに、5、60歳の人のようで、未来の人生はどうやって過ごせばいいのでしょう! もしこの子にもしものことがあったら、私も生きていけません」と言いました。黄曉敏さんと母親は苦しみの中でいつも、もだえ苦しんでいました。黄曉敏さんは絶望し、死のうとさえ思うようになりました。
治療のため、あちこち奔走し、治療と薬を求めましたが、病気の原因はつきとめられませんでした。腰と心臓の機能を検査した後、すべてが正常であり、現代医学は黄曉敏さんに対して手の打ちようがありませんでした。
黄曉敏さんに対し手の打ちようがなくなった時、幸運にも法輪功の修煉に入り、人生の大きな変化が起こりました。
1999年のある日、黄曉敏さんの体の情況が一向に良くならないのを隣のおばさんが見て、「曉敏さん、すぐに法輪功を修煉しなさい。法輪功だけがあなたを救えますよ!」と言いました。その時黄曉敏さんはすでに生きているより死ぬ方がましと思っていたので、おばさんの話を聞いて、命の鎖を見つけたかのように、ためらわずにすぐ承知しました。それから、黄曉敏さんはおばさんと一緒に法輪功の動作を学びました。煉功して7日目の時、腹前抱輪(訳注:腹部の前で法輪を抱える動作)をしていた時、手からスースーと外に向かって冷気が出て行くのを感じました。煉功が終わると、体がだいぶ軽く楽に感じ、リラックスできました。黄曉敏さんはとても驚きました。なぜなら、当時中国には多くの気功がありましたが、黄曉敏さんはどれも信じたことがなかったからです。でも今回は本当に法輪功による病気治療と健康保持の奇跡を信じました。そして「かつて1年365日、毎日水に浸かり、1年中、体内に寒気と湿気が充満していたこれらの良くないものを、法輪功を煉ることによって排出し、手からその冷気が出ていったのです。この良くない気を体外に排出したことにより、体が正常に戻ったのだ」とわかりました。
それから、黄曉敏さんは毎日煉功し、法輪功の主著である『轉法輪』を読みました。修煉して半年経たないうちに、黄曉敏さんを苦しめていた根深い病気は、思いもよらず全てなくなりました。
黄曉敏さんは以前インタビューに来た記者に涙を流しながら「もし法輪功を修煉していなかったら、私はすでにこの世にいなかったでしょう」、「法輪功は私に第二の人生を与えてくださり、この身をもって法輪大法の奇跡を証明できました。人類の全ての言葉を使い尽くしても、大法の師父に対する感謝の念を言い表すことはできません」と言いました。
黄曉敏さんは韓国に定住した後、数カ所の大学で専任講師を務め、水泳の知識を教えました。また子供たちには水泳を教えました。黄曉敏さんは「真・善・忍」で子供たちを教育し、学生たちの成績は非常に良く、試合に参加する度に3位以内に入賞し、いつも優勝しました。
(続く)
(明慧ネットより転載)
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