<心の琴線>

勇敢になることの美しさ

彼女は子供の時から見栄えが悪く、泣き声も大きかった。可愛がってくれる人は少なかったが、彼女はそんな醜い自分を意識せずに、楽しく日々を過ごしていた。

ある日、親戚が自分のことを「疫病神」に例えているのを聞いた。まだ5歳だった彼女はその言葉の意味がよく分からなかったが、あまり良くない言葉であることを感じ、少し傷つけられた。

小学生の時、他の学校の先生たちが見学に来た。担任の先生は、彼女に言った。「本当に申し訳ない。あなたの歌がとても上手なことは知っているが、他の生徒たちにも出演のチャンスを与えるために、今回は出演を遠慮してくれないか?」 彼女は担任の先生が、平素自分に優しくしてくれていることを思い出し、納得はいかなかったが、先生に言われたとおりにした。その時、彼女の自尊心は大きく傷つけられた。

中学生になって、再び彼女の自尊心を傷つける出来事があった。それは合唱団の発表の時だった。彼女が指揮を担当していたのに、先生は他の生徒に指揮をとるよう求めた。「あなたは後列で歌ってください。あなたの代わりに他の生徒が指揮者の役割をしますが、実際の指揮をとる人は後ろにいるあなたが担当してください。もちろん受賞したら景品はあなたにあげますから」というのだ。

その時、彼女は先生の要求をきっぱりと断った。思わぬ彼女の態度に、先生はとても不満げな様子だった。その年、親睦会で各クラスの班長が発言する様子を写真に撮り、掲示板に貼るという企画があった。彼女も写真に写っていたが、先生はどうしてもその写真を貼ってくれなかった。その理由について、先生は説明してくれなかったが、醜くて謙虚さのない彼女の態度に怒っていたのかもしれない。彼女にはそんな先生がどうしても理解できなかった。

醜いため、学校ではよく女子生徒に嘲笑されたり、男子生徒にいじめられたりしたが、美術の先生だけは、彼女を一番可愛がってくれた。先生が肖像画を描く時は、いつも彼女をモデルにした。「先生、なぜ醜い私をモデルに絵を描くのですか?」と聞くと、先生はいつも真面目な顔で答えてくれた。「あなたはきれいじゃないかもしれないが、自分ならではの特徴があるの」 先生の言おうとすることはよく分からなかったが、自分を醜いと言わないだけで、何よりも嬉しかった。大人になって、一人前になった彼女は、いつも先生のこの言葉を思い出す。「きれいな人は人に覚えられないかもしれないが、特徴のある人は必ず覚えられる」この言葉は、彼女の人生に影響を与えた。

醜い自分にいつも引け目を感じていた彼女は、ある日、ニュージーランドの女性作家が執筆した伝記を読んだ。それは、醜い人が有名な学者になったという話で、その本から、卑屈になればなるほど多くのものを失うという道理を悟った。彼女は勇敢に、醜い自分に直面することを決心した。自信のある笑顔を浮かべ、醜いなんて考えない時、彼女は自分がとても美しいと感じた。

もし、自分が幸運を選ぶことができないのなら、「勇敢になること」を選ぶ。なぜなら、勇敢な人は誰よりも美しいから。

(希望の声より転載)
 

(翻訳編集・柳小明)