春秋時代の斉の宰相である晏嬰は非常に口弁で、人に執着を放下させ、考えを変えさせることができ、正しい道に導くことができたため、「晏子」と尊称されています。景公に仕えていた頃、晏子は多くの人の心を啓発できる物語を残したのです。
晏子は常に節約を心がけており、必要最低限のものしか買いません。斉の景公に仕え、相国(宰相)を務めていた時のことでした。ある日、晏子は家で食事をしようとした際に、突然、景公の使者がやってきました。晏子は使者を食事に招待しました。しかし、料理は一人分で余分がないため、晏子は自分の食事を使者と2人で分かち合いました。その結果、使者も晏子も満腹になりませんでした。使者はこのことを景公に報告しました。
これを聞いた景公は笑いながら、「晏子の家はこんなに貧しかったとは知らなかったよ。これは寡人(私)の過ちだ」と言って、官吏に命じて晏子に千金を贈り、賓客に招待することにしました。
しかし、官吏は3回金を贈りましたが、3回とも晏子に断られました。その後、晏子は宮殿に行き、景公に感謝の気持ちを伝え、断った理由を話しました。
「我が家は貧しいわけではありません。普段から主上からの賜りのおかげで、父、母、妻の家族がみんな恩恵を受けています。それが友人にまで及び、民も救済を受けています。主上から賜わったものは十分なもので、我が家は決して貧しくありません。
君主から頂いた賞賜を民の救済に使うことは越権行為であり、忠臣がやるべきことではないと聞きました。しかし、君主から多くのものを頂いたのに、民に少しも分け与えないことは私利私欲で下品な行為であり、仁者がやるべきことではないと思います。
君主から恵みを受ければ、他の大臣に妬まれやすくなります。それに、人は素っ裸のまま生まれ、死ぬ時も何も持っていけず、財産などは残しても他人のものになるしかありません。智者はこのようなことにはこだわりません。食べるものと着る服さえあれば十分です」
晏子の話を聞いた景公ですが、それでも晏子に賞賜を受け取ってもらおうと、管仲が斉の桓公の賞賜を受け取った例を話し、晏子を説得しようとしました。
「昔わが先君、桓公はその宰相管仲に500社[1]の土地を与えた、管仲は辞退せずに受け取ったのだ。君はなぜ断るのか?」
晏子はこのように答えました。「私はこう聞いています、智者にも千慮に必ず一失あり、愚者にも千慮に必ず一得ありと。管仲は賢臣ですが、一失になるかもしれません。私は愚か者ですが、一得になるかもしれません」
そう言って、晏子は景公からの賞賜を再び断りました。これが「智者にも千慮に必ず一失あり、愚者にも千慮に必ず一得あり」という諺の典拠です。
『史記』「淮陰侯列伝」に記載されている韓信と広武君の話がこの諺の出どころであると認識されていますが、実は、その300年ほど前に、小さな物語としてあったのです。
今では、「千慮一得」という四字熟語に略されており、その言葉の中に晏子の知恵が示されています。そして、何よりも大事なのは晏子の高貴な品格です。晏子は諫言の勇気を持っているだけでなく、さらに珍しいのは、謙虚で、お金の誘惑に負けず、己の欲望を抑えることができたということです。
[1]25戸の家を1社とする
(翻訳編集 季千里)
ご利用上の不明点は ヘルプセンター にお問い合わせください。