活版印刷の普及
チンギス・カンの3男、オゴデイの養子である楊惟中は知略に長け、二十歳にして西域30以上の国々に赴き、政令・條格の布告、人口調査による戸口の登録など、現地の統治体制を整え、大きな功績を収めました。この他にも、楊惟中は活版印刷伝播の重要な功臣でもあったのです。
北宋の時代、一般の百姓の畢昇が活版印刷を発明しましたが、当時は、民間でのみ使用されていました。南宋の時代になって、木版印刷は金属製のものに改良されたものの、金王朝との対峙により普及範囲が限られていたのです。
元王朝の政治家・姚枢は活版印刷の普及を提唱し、楊惟中と知り合った後、オゴデイに紹介されました。
その後、2人は各地で儒教、道教、仏教、医学、占いなどの名士を探し当て、多くの経典や文集を収集して印刷させました。
活版印刷は北宋・南宋・モンゴル帝国と時を経て、西征とともに中央アジア、西欧諸国へと伝わっていったのです。
(つづく)
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