近年、進化論の最大の嘘は、中国で発見された「 長い尾羽を持つ恐竜」がでっち上げだったことです。アメリカの「ナショナル ジオグラフィック」誌の1999年11月の報道によれば、考古学者は中国で恐竜と鳥の中間形態を発見し、生物進化理論の空白を埋めたとのことで、生物学界を非常に驚嘆させたのですが、しかし、その後鑑定された結果、恐竜の化石と鳥の骨が人工的に接着されたもの、つまり捏造であることが判明したのでした。
皮肉なことに、中国政府は政治的な目的で、共産主義とその根底にある唯物論を擁護するために嘘をでっち上げ、真実と合理精神に基づく科学を、批判し拒絶しようとしたのでした。
中国の科学界には、特別な指導部門である「中央宣伝部科学部門」が存在しています。1950年代に非常に長い間部長を務めた于光遠(ユウ・グアンユアン)氏の下には、2人の重要な人物がいました。1人は何祚庥(ホー・ツオシウ)氏、もう1人は龔育之(ゴン・ユジ)氏です。
中国本土では、解放初期から1978年12月18日の中国共産党の第11期中央委員会三中全会まで、彼らの共産主義と唯物論に対するいかなる反論も疑似(えせ)科学であると頭から拒絶され、自然科学のほぼすべての分野に、その洗脳的悪影響を及ぼしました。
有名な例としては、モーガンの遺伝理論に対する批判、メンデルの遺伝学に対する批判、梁思成(りょう しせい)氏の建築学に対する批判、馬寅初(ば いんしょ)氏の人口学に対する批判、量子力学の一部理論に対する批判、相対性理論に対する批判、制御理論に対する批判などがあります。
1952~53年: モーガン理論の批判
ソ連の科学者ルイセンコ(T. D. Lysenko)氏は、何らかの政治的目的で、モーガンの理論を激しく攻撃し、「階級闘争の新しい方向」として持ち上げたため、ソ連の才能ある生物学者たちは巻き込まれ、残忍な迫害に遭いました。何祚庥氏らは「ソ連から学ぶ」という旗印のもと、中国の著名な生物学者であるモーガンの弟子、谈家桢氏を批判し、中国の生物学者に致命的な打撃を与え、長い間、生物学の発展は停滞したのです。
1958年: 共振理論の批判
20世紀初めにベンゼンのケクレモデルが発見されて以来、数十年にわたり科学界はベンゼンの化学構造を合理的に説明することができませんでした。その後、ノーベル化学賞受賞者で米国の量子化学者、生化学者のポーリング(L. Pauling)氏は共振理論の概念を提唱し、ベンゼンの化学構造を合理的に説明しました。これは量子力学が化学構造学において初めて応用された事例でした。
何祚庥氏らは「無産階級でなければ必ず資産階級である」と乱暴に主張し、共振理論を「科学界における階級調和理論の反映」として非難し、共振理論への無知蒙昧な批判を展開しました。構造化学の専門家数百人が影響を受け、「資産階級の立場」を検証され、中国の量子力学研究は深刻な打撃を受け、これもまた、長い間中断されたのです。
1955~62年: 梁思成に対する批判
梁思成氏は中国の学者で梁啓超氏の息子であり、また著名な建築家で、中国と西洋の建築スタイルを融合させるために多くの業績を残しました。中国国防部やフレンドシップホテルなどが彼の作品です。何祚庥氏らは彼の建築スタイルを「中国人の頭脳、外国人の体」、「階級融和の変種」などと攻撃し、梁思成氏は鬱に陥り失意のうちに亡くなりました。
1965年: 制御理論の批判
著名なユダヤ系学者のウィーナー氏は制御理論に関する著作で、自身の見解を説明するために次のような話をしました。第二次世界大戦中、空中目標に対する対空砲の命中率が非常に低かったため、連合国側は科学者のチームを組んで研究を行いました。
研究者らは、ワシがウサギを捕まえる際に失敗することはめったにないことを発見しました。ワシはフィードバックループシステムを脳内に持っているため、ウサギの位置と速度に応じて自身の飛行経路を連続的に調整できます。同様のシステムを対空砲に取り付ければ、命中率の大幅な向上が可能なはずです。
したがって、ウィーナー氏は生物界と非生物界には、一定の共通性が存在すると考えました。しかし、当時の中国の政治的背景では、階級間の調和さえ存在するはずがなく、生物と非生物の調和など考えられるはずがありません。その為、制御理論は典型的な「疑似科学」と批判されました。何祚庥氏らはこの単純な理由を利用して多くの科学者を迫害したのです。
上記のことは、すべて過去のことですが、取り返しのつかない損失をもたらしたのです。残念なことに、政治的目的のために事実を歪曲する現象は今日でも存在しているのです。
(つづく)
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