エアロゾルを介した拡散能力の獲得
当初のH5N1亜型ウイルスは、哺乳類間で容易に伝播するものではなかった。
約10年前、米国のウィスコンシン大学の河岡義裕氏と、オランダのエラスムス大学医学部付属医療センターのロン・フーチェ氏という2人のウイルス学者が、H5N1亜型について高リスクの機能獲得研究を行い、世界を驚かせた。
その過程は複雑だった。例えば、PB2遺伝子のE627K変異を持つH5N1亜型ウイルスが作られ、その後フェレットに10回感染させた。合計5つの変異を獲得したH5N1変異型ウイルスは、エアロゾルや呼吸器飛沫を介した感染能力を獲得した。
これらの変異は、自然界で発見されたことはあっても、その全てが同一株内で見つかったことはなかった。さらに、研究室で操作され、エアロゾルを介して感染能が強化されたことで、パンデミックを起こす潜在能力(パンデミックポテンシャル)を持つようになった。
2011年、米国のバイオセキュリティ国家科学諮問委員会(NSABB)の委員長を務める微生物遺伝学者ポール・ケイム氏は、彼らの論文を見て懸念を表明した。「これほど恐ろしい病原体は他に思いつかない」とケイム氏はサイエンス誌に語った。長年炭疽菌の研究に携わってきたケイム氏は、「これに比べれば炭疽菌はまったく怖くない」と付け加えた。
これらの重要な変異が公表されたことで、他の研究者が自分の研究室で再現できるようになった。こうして、H5N1亜型に関する不穏な物語が始まった。
H5N1亜型クレード2.3.4.4bが初めて検出されたのは、2013年のことだった。
中国の研究所でのさらなる操作
2021年4月1日、米国農務省、米国国立家禽研究センター、ジョージア州南東家禽研究所(SEPRL)、中国科学院(CAS)、英国ロズリン研究所による米英中の共同プロジェクトが始動した。
米国農務省はこのプロジェクトに100万ドルの助成金を提供している。SEPRLとロズリン研究所は、鳥類免疫学ゲノミクスとウイルストランスクリプトミクス解析の専門知識を提供している。
そして、実際の実験は中国科学院の研究所で行われている。この場所が選ばれたのには特別な理由があるのかもしれない。
後で説明するが、このプロジェクトは機能獲得研究でもある。
鳥インフルエンザウイルスの機能獲得研究は、2011年以来、米国の科学界からさまざまな批判を引き起こした。分子生物学者であり、ワクスマン微生物学研究所の所長であるリチャード・エブライト氏も、サイエンス誌に「この研究は決して行われるべきではなかった」と語っている。バイオセーフティの観点から、研究によって生成された新たなウイルスが研究室から流出したり、研究の成果をバイオテロリストが悪意を持って生物兵器に応用することへの懸念を科学者たちは表明している。
米国では、2014年10月から2017年12月まで、インフルエンザ、中東呼吸器症候群コロナウイルス(MERS‐CoV)、重症急性呼吸器症候群コロナウイルス(SARS-CoV)を含む機能獲得実験が禁止された。この一時停止は2017年12月19日に米国国立衛生研究所(NIH)によって解除されている。
中国の研究所は十分な技術力を有していることが多いが、バイオセキュリティ規制が比較的緩いため、大きな課題に直面している。
元CDC長官のロバート・レッドフィールド博士は最近、「鳥インフルエンザは大流行の原因になると思う。彼らはこのウイルスに、人間への感染力を高める方法を教えている」と指摘している。
急速に拡散する深刻なウイルス
鳥インフルエンザウイルスの危険な機能獲得研究に、中国の科学者らは反対していない。
例えば、2013年5月にサイエンス誌に発表された研究では、中国のハルビンにあるハルビン獣医研究所の陳華蘭氏率いる研究チームが、致死率は高いが感染しにくいH5N1亜型ウイルスと、2009年に数百万人が感染した感染力の強いH1N1亜型豚インフルエンザ株を組み合わせた。
また、上記の三ヶ国共同プロジェクトの研究デザインには、機能獲得型の性質を強く示す側面が少なくとも3つあるが、行間を読まなければ判別が難しい。
1つは、「連続継代」として知られる実験のアプローチで、これが機能獲得研究のツールであることは多くの科学者が認めている。
連続継代では、細胞から細胞へ、あるいは動物から別の動物へとウイルスを増殖・複製する。このような研究は、伝染性と病原性の高い人獣共通感染を引き起こす変異を生み出す危険性が高く、次の継代により強力な変異株が選択される可能性がある。
提案書にあるように、中国科学院の科学者らは「フィットネス」を測定する責任を負っている。「フィットネス」とは、ウイルス感染の進行が速いか遅いか、重症か軽症かを示すものだ。伝染と病原性のパターンを特定するため、継代の前後にサンプルを採取するが、これによって、より早く感染し、より重篤な疾病を引き起こすH5N1亜型の変異が生じる可能性が高まる。
2つ目の手がかりは、ウイルスを複製するために慎重に選ばれたモデル動物(マガモ、ガチョウ、ウズラ)に関係がある。
マガモはカモの中でも一番あちこちに移動し、広範囲に生息する。他の63種と交雑するマガモは、様々な鳥インフルエンザウイルスの無症状保有者であり、変異したウイルスが再結合する可能性が高い。
インフルエンザウイルスは大型の一本鎖RNAウイルスで、8本のRNA分節を持つ。ウイルスゲノムのこのユニークな特徴によって、特に1つの宿主に多くの異なるタイプのウイルスが存在するという完璧な条件が与えられた場合に、ゲノム同士が容易に再集合し、異なる組み合わせのゲノムを生み出すことになる。
さらに、ウズラは2種類の鳥インフルエンザウイルスに対して鳥類と哺乳類の両方の受容体を発現している。このような理想的な宿主であるため、一連の継代試験を行った後、哺乳類の受容体には適応するが、鳥類の受容体には適応しない株を特定することができる。
したがって、この研究デザインによって、哺乳類宿主に対する向性が高まり、より高い病原性や伝播性を持つ変異したH5N1亜型ウイルスが選択されやすくなる。
したがって、これは機能獲得の目的を達成するために技術的にうまく設計された研究だ。研究目的はサーベイランス、モニタリング、フィットネス、ワクチン研究の強化にあると思われる。
さらにこの研究では、生きたウイルスを用いて、マガモにまず低病原性の鳥インフルエンザウイルスを接種してから、次に高病原性のウイルスを接種する予定だ。
鳥インフルエンザウイルスは非常に組み換えが起こりやすいため、高病原性鳥インフルエンザウイルスと低病原性鳥インフルエンザウイルスの間でゲノムの組み換えが起こると、予測不可能な宿主向性あるいは病原性を持つ可能性がある。
それによって、新たな機能獲得型の変異株が生まれる可能性はさらに高まる。
2021年以降、H5N1亜型鳥インフルエンザウイルスのクレード2.3.4.4bは、アジア、ヨーロッパ、アフリカの野鳥や家禽の間で爆発的に広がり、2021年末にはアメリカにまで広がった。
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