古代人の生活へタイムスリップ:髪を結う―ファッションのしきたり

数千年前にさかのぼっても、女性髪型は独自の言語表現を備えるもので、フェイスブックの公開プロフィールのように静かにメッセージを送っていた。 髪型がいかに近況を一般に公表していたかをご紹介しよう。

 

若い未婚の女性

古代中国では、若い女性は髪を垂らすか簡素なスタイルで未婚を示していた。15歳の誕生日まで三つ編みにし、髪結い式である笄礼(けいれい)と呼ばれる成人式を迎える。式では洗髪し、二つ編みに寄り合わせ、笄(こうがい)と呼ばれる髪留めで抑える。式を終えた女性は結婚できる成人とみなされる。

漢朝―玉笄(ぎょくけい)

 

黒く光沢のある長い髪は健康の証であり、魅力的であるとされていたため、これらの若い女性たちは髪を切ることをせず、編んだ頭髪が艶やかに見えるような髪型にしていた。漢の時代(紀元前206年~紀元220年)の簡素な髪型は、緩やかに縛られた低めのポニーテールで、顔の両脇に沿って髪を垂らし、額を出すものだった。左右対称であることが理想の美とされていたため、髪は中央で分けられた。一部を二つ編みするか頭の後ろに団子をつくるかして髪飾りで抑え、残りの髪はそのまま垂らすという髪型もあった。髪の美しさを見せながら、優雅な姿に仕上げるスタイルだった。

 

結婚したら

(神韻芸術団提供)

 

女性は結婚すると、たしなみの良さと実用性が重視された。家族の世話や家事で忙しくなり、他人の前で髪を垂らす必要はなくなった。古代中国では、結婚した女性は実務的なものから手の込んだものまで、社会的地位や流行によって様々なスタイルで髪を結った。最も簡単なものは、うなじで髪を結ぶものだった。手の込んだスタイルとしては、唐の時代(紀元618~907年)のものが挙げられ、かつら、かんざし、ピン留め、生花などが用いられた。

既婚女性の簡素なヘアスタイルは、髪を櫛で集め、頭のてっぺん近くで高いポニーテールに結び、大きな団子を額の上部、頭の中央にふんわりと収めるものだった。中国の女性は木片を湯に漬け込んで粘りのある液体を作り、針金と合わせて髪を固定するために用いていた。

現代では、強力なヘアスプレーが代わりに用いられる。団子の下の部分でリボンを結ぶことで、色彩が加わる。房のついたかんざしなどが典型的な髪飾りだ。ヘアスタイルが全体のファッションの中心になるわけでないなら、簡素なかんざしで頭を飾ることをお勧めする。かんざしはオンラインで購入できるが、エコがお好みなら枝を使ってはいかがだろう?

 

勤めに出る

(神韻芸術団提供)

 

効率よく賄われている富裕な家の陰には、女中、宮廷の仕女、お手伝いの姿がある。寝具を整え、お茶を入れるなど、これらの女中は多くの仕事に長けていた。髪を長く伸ばしていて、どうやって髪がスープに入らないようにするのだろうか。由緒ある家庭で働いているので、無造作に結ぶだけというわけにはいかない。でも女主人のような髪型にもできない。礼儀を破ってしまうことになる。

料理が大好きという方のために、唐の時代の実用的で可愛い二本のねじり編みをお勧めする。真ん中分けにして、二つの三つ編みにする。次に三つ編みを8の字によじり、頭の両脇、耳の後ろにピンで固定する。特別の催しのときは、三つ編みにリボンをまぜて、色を加える。

こうして古代中国の女の子は、一糸乱れぬ完璧な髪型で外の世界―洗濯物の山―へと身支度したのだった。疲れ果てた日は、町中で可愛らしいファッションを楽しみながら、穏やかな1日を過ごしたのだ。

 

ショーでは華やかに

(神韻芸術団提供)

 

踊りの最中に髪が目に入ることは避けたいものだ。古代中国では、ダンサーは宮廷の晩餐や儀式の花形だった。ダンサーの動きは繊細で、衣装は崇高で、髪はきちんと一箇所にまとめ上げられていた。

神韻の仙女のダンサーたちには、二つの輪をつくる簡素なヘアスタイルが適切だ。まず、頭の上の高い部分にポニーテールを作り、二つに分けてそれぞれを輪にする。髪の先端はポニーテールの芯の部分にはめ込む。ヘアピンで輪を固定し、必要ならば別の紐で補強する。サイズや場所を変えたり、髪飾りをふんだんに使って装飾する。準貴石のピン、翡翠の櫛、金属製の繊細な飾りは古代では人気のあるものだった。真珠や翡翠と一緒によく用いられた房のついた歩揺(ほよう)と呼ばれるヘアピンは特にもてはやされた。文字通り、「歩くと揺れる」ものだった。

 

最先端ではないけれど…

これまでご説明してきたヘアスタイルには長い髪が必要なことにお気づきだろうか。儒教では、髪は親からの授かりものであり、最大限に尊重するものだと説いている。女性にとっても男性にとっても髪を切ることは親孝行を破ることとみなされ、特殊な環境でのみ行われた。髪を恋人への約束の証として渡すこともあった。また、修行に入る前に髪を剃った。囚人や犯罪者は髪を切られ、自然に髪が伸びるようにした。整髪していない者は不遜な者という了解があったため、これは罰の一つだった。

どんな装いの場でも、昔の人は場に合ったスタイルで着こなしていた。王朝によってスタイルは異なったが、数百年後にもまだ人の注目を集めている。

 

――「神韻芸術団」(日本語ホームページ)より転載