私は、初めて米国に来たばかりのとき、基本的な礼儀も知らないアメリカ人が目障りだった。中国国内の多くの高級ホテルには、だらしない格好をした者は出入り禁止という規則があった。スリッパやサンダルでホテルに入ろうとすると、必ず警備員に止められる。しかし、アメリカでは、多くのアメリカ人がサンダルやゴムぞうりで、教室、図書館、ホテル、ショップ、教会などの公共の施設に出入りしている...。
スーツの起源は西側社会からである。しかし、それが中国の各階層の男性の主流の服装になったとき、アメリカでは逆に着る人が少なくなった。町やキャンパスでもっとも流行っているのはジーパンや運動靴で、まる1日スーツ姿を見かけることのない日もある。私は米国に来て1年6ヶ月の間に、1度だけスーツを着た。それはウォール・ストリートにある有名な機関を訪問したときだ。金融界の人々は皆スーツ姿なので、こちらから出向いて行くときも、やはり正装するのがよいからだ。
アメリカ人は互いに呼び合うときも、礼儀正しくないように思える。多くの人はファーストネームを呼び捨てにする。もし、相手を「博士」や「教授」、「部長」の敬称で呼んだら、あまりにも他人行儀だと思われる。私の娘は自分の担任の先生を「○○さん」或いは「○○先生」と呼ぶほかは、相手が自分より年長であろうが同年代であろうが、ほとんどの場合、相手のファーストネームを呼び捨てにする。中国にいるときのように「叔父」、「叔母」を使ったりはしないのだ。アメリカ人に嫁いだ河南省の女性は、初めて夫の実家を訪問したとき、中国人の習慣に従って、夫の両親を「お父さん、お母さん」と呼んだが、両親からどうしてもファーストネームで呼んでほしいと言われたという。
アメリカ人は贈り物をするということがあまりないから、お土産などを贈るとき、ほんの気持ち程度のもので十分だ。例えば、「中国結」(紐で編んだ中国風結び物の飾り)などの特色のある安価なものをプレゼントしたとき、アメリカ人は非常に喜んでくれた。
アメリカでは、友人を自宅に招待するにも、簡単な料理で済ませられる。これまでに十数人のアメリカ人の自宅に招待されたが、ほとんどが主食(ご飯、トウモロコシ、パン)、ビーフ(チキン又はハム)、野菜又は果物サラダ、デザート(ケーキ、アイスクリーム)だった。
アメリカ人と一緒に外で食事をする場合、前もってどちらかがご馳走することになっていないかぎり、それぞれ自分の分を支払う。一度、中国旅行から戻ったばかりのアメリカ人の友人に、余った300人民元をドルに両替してほしいということで、ホテルのバーで会った。友人とそれぞれビールを頼んだが、帰るときに友人は自分の分しか払わなかった。
とにかく、アメリカで生活するとき、うるさい規則や制限はない。かつて党学校の教師や新聞記者を務めたことのある学生時代の友人が、米国へ移住してきていた。彼女に、米国に来て7年間の感想を聞いたら、「最大のメリットは、国内にいるときの複雑な人間関係から抜け出せたこと。仕事は国内にいるときよりきついけど、精神的に疲れないし、生きるのが楽だ」と話した。
「細かいこと」は気にせず、「大節」は重んじる
アメリカ人は「細かいこと」は気にしないが、「大節」は重んじる。彼らのいう「細かいこと」と「大節」は、私たちが理解しているものと異なる。アメリカ人にとって、「個人」や「プライベート」に係わることは「細かいこと」であるとし、誰でも思う存分自分の個性を発揮することができる。しかし、社会全体又は他人と関係することになると、「大節」であると見なす。
例えば、アメリカ人は、公共秩序の遵守には粛然として襟を正す。私はアメリカで、列に割り込む人、公共施設内で喫煙する人、適当に唾を吐き出す人、みだりにごみを捨てる人、町中で喧嘩する人、違法駐車、赤信号を無視する人は見たことがない。
アメリカ人はプライベートを重視する代わりに、他人のプライベートも尊重し、人の噂話をするのを好まない。これに関する制約はかなり多く、例えば、相手の収入、年齢、信仰などプライベートに関わることは聞かない。妻が研究者として米国のある病院で研究していたときのことである。ある日、妻は奇麗な服を着た看護士を褒めてから、「この服はいくらしたの?」と聞いた。すると、相手は目を丸くし、驚きのあまり呆然とした。しばらく経って、「ああ、値段は...高かったの」と答えた。そのとき、妻は初めて、自分は「ルール違反した」ことに気がついた。
また、中国の大学キャンパスと大きく違って、アメリカの大学キャンパスでは、男女が親密に抱き合ったり、手を繋いだりすることすら見かけないのだ。アメリカ人の友人はこれに対して、「男女間のことはプライベートなことだから、ほとんどの人は人前では親密な行動を見せたくないのだ」と解釈してくれた。
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