閔損(びんそん、紀元前536年-紀元前487年)は、字を子騫(しけん)といい、春秋(周朝)魯国の人。孔子の弟子で、徳行に優れており、孔子が「孝なるかな、閔子騫」(論語・先進)と、その孝行ぶりを称賛したほどである。
子騫の母は早くに亡くなり、父は再婚した。継母は二人の子をもうけた。子騫は両親に非常に孝行であったが、継母は彼を嫌い、実の子二人には綿入れの服を作ってやっても、彼の冬着には葦の花を入れた薄っぺらな服しか与えなかった。
ある冬の寒い日、父の外出に際して、子騫が車を引くことになったが、寒さで震えが止まらず、ロープを落としてしまったため、父に責められたが、彼は何も弁解しなかった。ちょうどその時、葦の花が破れた服の中から飛び出し、父は子騫が継母からいじめられていることを知った。
事情のわかった父はひどく悲しみ、家へ帰ると妻に暇を出そうとした。すると、、、涙ながらに父に、こう言った。「母がいれば、寒い思いをするのは、私一人ですみますが、母がいなくなれば、三人の子供がみな凍えることになります」。
父はそれを聞いて感動し、子騫の言うとおりにした。継母もこれを聞いて、自分の過ちをひどく後悔し、それ以来、実の子のように、彼に接するようになった。
閔子騫の孝行ぶりはそれ以来、遍く天下に知られるところとなった。
(編集・望月 凛)
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