継母にいじめられても なお親孝行
閔損(びんそん、紀元前536年-紀元前487年)は、字を子騫(しけん)といい、春秋(周朝)魯国の人。孔子の弟子で、その徳行は顔淵と並ぶほどであった。閔子騫の母は早くに亡くなり、父は再婚した。継母は二人の子をもうけた。閔子騫は両親に非常に孝行であったが、継母は彼を嫌い、実の子二人には綿入れの服を作ってやっても、彼の冬着には葦の穂を使った。
中国伝統美徳物語(孝行編)その三「閔子騫は葦の衣を着る」
春秋時代の魯国、姓は閔(びん)で、名は損(そん)、字(あざな)は子騫(しけん)という人がいました。彼は幼い頃、母親が不幸にも逝去しました。父親は後妻を娶(めと)り、後に後妻は2人の弟を出産しました。
継母にいじめられても なお親孝行
閔損(びんそん、紀元前536年-紀元前487年)は、字を子騫(しけん)といい、春秋(周朝)魯国の人。孔子の弟子で、その徳行は顔淵と並ぶほどであった。閔子騫の母は早くに亡くなり、父は再婚した。継母は二人の子をもうけた。閔子騫は両親に非常に孝行であったが、継母は彼を嫌い、実の子二人には綿入れの服を作ってやっても、彼の冬着には葦の穂を使った。